<2025初詣レポート>北九州市内で三社詣ならぬ六社詣をしてみた 有名お社から隠れた神社まで
正月三が日、今年一年の祈念のため、神社に出かけた人も多いのではないでしょうか。
そんな初詣で道路が混み合い、渋滞になっている様子が報道されていました。この混雑の原因は、主に北部九州に特有の「三社参り」にあるかもしれません。
筆者は「三社参り」が日本全国で行われている慣習と思っていたのですが、他の地方に住んで初めて、実はそうではないということを知りました。
そんな筆者は今年、渋滞を避けつつ、少し異なる視点で三社詣ならぬ「六社詣」をしてみることにしました。
鎮守の森に囲まれた2つのお社
有名な神社のすぐ近くには、隠れた神社が点在していることがあります。また、大きな神社には由来が多く、付随する物語も多く存在します。
今回は、そんな「サイドストーリー」的な話を持った神社を紹介します。
某人気アニメに登場する大岩にそっくりな鈴石!?/荘八幡神社
貫山のふもとに広がる貫地区で大きな神社といえば、「荘八幡神社」でしょう。
貫地区が荘園だった以前より鎮座していて、除夜の鐘が鳴り響く頃には長く急な石段にずらりと参拝者が並んで、寒さに凍えながら順番待ちしている光景が見られます。
古くからの縁だけでなく、近年は境内にある「鈴石(すずいわ)」が『鬼滅の刃』の主人公・竈門炭治郎が修業で真っ二つに割った大岩にそっくりであることも話題です。映画公開時には、コスプレをした小さなお子さんが家族に写真を撮ってもらっている風景なども見られました。
今年も新作が公開されるようですから、もしかするとまた盛り上がるかも知れませんね。
こちらは社務所でお札やおみくじなども売られていて、元旦にはしょうが湯なども振舞われています。
お酒の神様が守る史蹟/松尾神社
荘八幡神社の小高い丘を表の石段とは反対に、山茶花の咲く道を数分下った場所に「松尾神社」があります。
筆者が訪れたのは正月三が日でしたが、掃除の行き届いた境内に人影はありませんでした。
静かな参道を進むと、左手に「天皇井」という史蹟があります。
ここは、ヤマトタケルの父とされる景行天皇が狩猟で訪れた際に水を汲まれたと言い伝えがある場所です。
多賀神社などの末社を持つ松尾神社ですが、大きな見どころは「左甚五郎作」と言われている龍の彫刻です。
左甚五郎といえば、日光東照宮に愛嬌のある「眠り猫」などの彫刻で有名です。龍の彫刻をみてみると、確かに愛嬌があって雰囲気が似ているかもしれません。
もともと本殿の正面に掲げられていたとようですが、今は閉じられた供物殿と思われる社殿の中央に飾られていました。
松尾神社はお酒の神様である「大山咋大神(おおやまぐいのおおかみ)」が主祭神とのことで、本殿の千木(屋根の上にクロスしている2本の木)も外削ぎ(先が垂直に切られている)で「男神」仕様となっていました。
この千木は主祭神が「女神」の場合は水平に切られています(「内削ぎ」と言う)。「ここのメインの神様はどちらかな?」と思ったら千木を見てみましょう(ただし、例外もあります)。
水平に切っている方は面が広く、女性的に見えるといいます。
1つの神社が二社に!平尾台を臨む郷社
小倉北区の中心部からモノレール沿いに322号線を進むと小倉南インターに至ります。そこから、さらに南下すると悠然と平尾台の白い山肌が見えてきます。
この平尾台を臨むように鎮座する、元は1つの神社だった2つの神社があります。
石灯籠と杉並木の参道/東大野八幡神社
まず、東大野八幡神社を訪れてみます。筆者は過去にウォーキングイベントの途中で訪れたことがありましたが、この日は鳥居に大きく特徴的な「しめ縄」が飾られていました。
これまで見たことのない珍しい形と大きさに圧倒されます。通常は真ん中が太い「鼓胴型」のしめ縄がよく見られると思いますが、こちらは左右真ん中のどこも同じ太さです。
調べてみたところ、これは恐らく「一文字型」のしめ縄のようです。
鳥居をくぐり進むと、見事な杉並木の参道が続き、その奥に社殿が見えてきます。
破魔弓などの縁起物を受けて帰る人とすれ違いながらさらに進むと、正月飾りの華やかな拝殿がありました。
また、参拝をすませて向かった社務所の近くには、かがり火があり凍える手を温めることができました。
東大野八幡神社は臨時駐車場も備えていることから、この地区で多くの参拝者訪れるのだと思います。
筆者はさらに少し足を延ばしてみました。
日本初の宝物が眠る/西大野八幡神社
一つ山を挟んだ山本地区にある「西大野八幡神社」を訪ねます。西大野八幡神社は標高234mの稗畑山(ひえはたやま)の麓、山にのまれそうな場所にあります。
静かな境内には、東大野八幡神社と同じ一文字型の立派なしめ縄が飾られていました。
夕刻に訪れたためか、人ひとりいない境内はゆっくりと参拝することができました。
本殿前の神楽殿のような場所には、天井の梁に航空機のプロペラが飾られています。
これは大正14年に朝日新聞社が日本陸軍の要請を受けて企画し、日本初の欧州大飛行を行った2機の飛行機のうちの1機、「東風(とうふう)号」のプロペラです。元の機体はフランス製ですが、その後長距離飛行のために日本の中島飛行機(現・SUBARU)で改造されたとのことです。
東京―ローマ間をシベリア経由で40日かけて飛行した東風号のパイロット、朝日新聞社の河内一彦氏が小倉南区道原が出身とのことで、役目を終えた東風号のプロペラを寄進したと境内の説明書きにありました。
「空の四勇士・帰京の日 東京駅頭を埋めて 熱狂せる歓迎の大観衆」という見出しの当時の新聞から、日本国中で大きな話題になったことが想像できました。
このほか、もう一つプロペラが河内氏の出身校である道原小学校に保管されているそうです。
この「西大野八幡神社」は「大野八幡神社」として、古くは飛鳥時代の666年から鎮座していました。それが時を経て今の東大野八幡神社に遷り、元の大野八幡神社は「西大八幡野神社」として祀られたそうです。
西大野八幡神社が大本の神社とわかるのが一の鳥居です。現在の東大野八幡神社の鳥居と見比べても遜色ない大きさです。