染織家・築城則子さんが語る「小倉織」復元・再生の道のり <隈研吾氏コラボブランド>誕生秘話とは?【北九州市小倉北区】
「小倉織」を復元・再生した染織家の築城則子さんと北九州市の武内和久市長のトークイベントが5月16日、小倉井筒屋1階の特設会場で開催されました。
築城さんが「小倉織」を復元・再生するまでの道のりと、昨年発表した建築家・隈研吾氏と「小倉 縞縞」とのコラボレーションブランド「KUMASHIMA」の誕生秘話、そして「小倉織」に込められた地域への想いを取材してきました。
「小倉織」復元・再生の糸口は1枚の小さな生地から
染織家である築城則子さんは元々、着物の紬を織っていたそうです。織物の経糸(たていと)と緯糸(よこいと)がミックスしたものが織色の美しさなのですが、当時の築城さんは「経糸の表現を際立たたせた織物ができないものか」と模索していたといいます。
そして、築城さんは小さな骨董屋で偶然1枚の生地に出会います。その生地は10センチ角のもので、経糸がくっきりしており、なめらかな「なめし革」のようだったと。これが、幕末の「小倉織」だと判明します。
そこから「小倉織」の魅力に吸い込まれるように、復元へ向けて勉強と試行錯誤を繰り返し、ようやく復元を果たして、現代の布として再生させました。
「小倉織」は、細い経糸を通常の3倍ほど使い丈夫で長持ちなのが特長。築城さんは「経糸が多いと織りづらいもの。その技術を先人が守り抜いたのです」と感謝を表します。
また、日本の高温多湿は木綿の生産に向いておらず、江戸期の生産地は限られていたそうですが、小倉の土地は温暖で風通しがよく、木綿の生産に適していたとのこと。「伝統工芸はその土地の風土と気質を反映したもので、小倉織はまさに北九州だから受け継がれた技術」だと築城さんは語ります。
隈研吾氏とのコラボレーションブランドの誕生秘話
昨年、「小倉 縞縞」は建築家・隈研吾氏とのコラボレーションによる、「小倉織」の建築・インテリア向けテキスタイルブランド「KUMASHIMA」を発表。「葉脈」シリーズとして新たなテキスタイル4柄を販売開始しました。
築城さんによると、隈氏より東京の神楽坂にある老舗旅館の再生に「小倉織」を使いたいとの申し出があったのが最初だそうです。隈氏がプロジェクトに関わるうちに、「本当に小倉織は魅力的な生地だ。一緒にカタチにしていこう」という話に。双方の名前から由来するブランド名「KUMASHIMA」も、半分ジョークのように決まったといいます。
そして、「小倉織」の工房へ隈氏が訪れ、木綿という自然素材の強さに触れ、「葉脈」シリーズが誕生したとのこと。