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「ものづくりで、自分らしく生きる」/綿瀬麻意子(ITOHEN代表)

綿瀬麻意子さんは山口県宇部市出身、北九州市在住。ご主人と高校生の娘さんとの3人家族。短大を卒業して航空会社のグランドスタッフとして5年勤務した後、25歳で北九州市内の会社に勤務するご主人と結婚して専業主婦に。ご主人の転勤のため北九州から関東に転居し、その後北九州に戻り北九州での暮らしやすさを再認識しているそうです。

綿瀬さんは2015年、北九州の「小倉織」を使ったアクセサリーの制作・販売をスタートし、戸畑で創業しました。現在はアクセサリーの製造・販売を行うITOHENの代表として、小倉織をはじめとする九州・沖縄のさまざまな伝統織物を用いた製品を開発し、発表しています。

戸畑にあるアトリエ兼作業所としているマンションの一室を訪ねると、やさしい笑顔で迎えてくれました。

転居と母の病気が重なり「産後うつ」に

―以前は関東にも住んでいたのですね?
「そうなんです。結婚して北九州市内に住んでいましたが、娘が生後6ケ月の時に夫の転勤で埼玉に転居することになりました。転居先には知人もいませんから、慣れない環境での子育てと家事とで大変でした。夫も仕事が大変だったと思います。転居して間もなく、子育ての相談ができる唯一の相手だった母が55歳で突然、くも膜下出血で倒れて意識不明になりました」

―大変なことが重なりましたね。綿瀬さんはどうされていましたか?
「母は美容関係のお店を複数手掛けていて、バリバリと仕事をする元気な人でした。よくはなりましたが元に戻ることはなく、認知症のような症状で言葉がうまく通じなくなりました。母のことが気がかりでしたが、私は小さな子どもを連れて頻繁には宇部に帰ることはできません。さらには知らない土地で孤独に子育てをする辛さが重なり、ひどい『産後うつ』になりました。しばらくは睡眠薬がないと眠れない日が続きました」

―話し相手がいない中で、産後うつは随分とつらかったでしょう。
「孤独感と、何をしたらよいのかわからないあせりがあって、苦しい毎日でした。ある晩、ふと思い立って、娘のアルバム作りを始めたのです。それから毎晩、時間を忘れて手を動かしているのが楽しくて、無我夢中でした。これが思いがけず、自分自身の癒しになりました」

「他の人にこのアルバムを見せたのですが、とてもよくできているとほめてもらい、うれしく感じましたし、自信をもらえたんです。自分がやりたいことは”ものづくり”なのだと気がつきました。”ものづくり”を一生やっていきたいと考えるうちに、うつはだんだんとよくなっていきました」

「ものづくり」がしたい

ワークショップの様子(画像提供:ITOHEN)

―「ものづくり」ですか。
「これまでの自分を思い返してみると、親の意思のままに生きてきたことに気が付きました。小学生のころは、お姉ちゃんだからしっかりしなさいと言われ、親の言う通りに習い事をしました。中学・高校と学級委員長や生徒会の仕事をして親に喜ばれるような”いい子”でいましたし、親の勧めで勤務先も決めました。自分がしたいことは見つからず、自分が無くなっていたのだと思います」

「31歳で子どもが生まれてからは、”〇〇ちゃんのママ”になりました。自分がどこかにいなくなったように感じていました。娘が成長してしまったら、次に何をすればよいのかと悩みましたが、自分が自分でいるために何かしよう、と仕事を始めることを決めました。それで、アルバム作りを教えることを始めました」

「教室を開き、娘のスクラップブックを基にしてアルバムの作り方を教えたのですが、人に同じものを作ることを教えても、まったく楽しさを感じなかったのです。自分は自分の考えで作ったことが楽しくて癒されたのですから、これは違うなあと思っていました。そのころから『何かを作ってみたい』という思いが生まれてアクセサリー作りを始めたのです」

人生を変えた母の闘病と死

―それから北九州に戻られたのですか?
「子どもが5歳の時に、北九州に戻りました。それから間もなくして、母に末期がんが見つかりました。母はホスピスで3か月を過ごしましたが、そこでは毎日、まわりの方々が亡くなっていくところをみていましたので本当に辛かったです。母はたくさんの仕事をやり残したと、最期までずいぶんと気にかけていました。60歳で亡くなりました」

―お元気だったお母様が亡くなって、お辛かったですね。
「人生が変わる出来事でした。それまでは何の疑問もなく暮らしていたのですが、(母が亡くなると)『明日がくるかどうかわからない』と感じるようになりました。毎日、毎日、何をしたらよいのかわからず、あせりを感じる日々が続いていました。そして、自分らしく今を一生懸命生きよう、本当に好きなことを仕事にしよう、という気持ちがさらに強くなりました」

「新しいことを始めたいと思っていた時に、レジンという透明な樹脂で布や金属などの素材を固めて作るアクセサリーがあることを知りました。当時はこうした樹脂の加工はあまり一般的ではなかったので、自分で工夫をしてアクセサリー作りを始め、2013年に黒崎で1点1000円ほどのイヤリングなどの販売や委託販売を始めました。市の『チャレンジショップ』という制度を利用しました」

伝統織物「小倉織」との出会い

小倉織を使ったアクセサリーブランド「縞コロン」(画像提供:ITOHEN)

―「小倉織」を使うきっかけは?
「黒崎でアクセサリーの販売をしていた時に、黒崎の着物屋さんにお会いして、小倉織の織師の方をご紹介いただきました。小倉織はすごくモダンでステキだったので、これをアクセサリーにしようと考え、2015年に小倉織を使ったアクセサリーの制作と販売を始めました」

―販売は順調でしたか?
「樹脂で布をコーティングすると、そのままでは布の色が変わってしまうので、変色しない加工方法を8ケ月ほどかけて研究して完成しました。この加工技術を用いた『縞コロン』というブランドで小倉織を使ったアクセサリーを作り、『福岡デザインアワード』で入賞し販路が拡大しました。加工技術については、2017年に実用新案(*)を取っています」

*実用新案権:物品の形状、構造・組み合わせにかかわる考案(アイディア)が保護の対象となる権利のこと。

―昨年10月に北九州市で開催された「TGC東京ガールズコレクション」では作品が使われました。
「私も会場に招待いただきましたが、私の作品を身に付けて舞台を歩いている姿を見て、本当に感激してしまいました」

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