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【ファンファン北九州#11】シャボン玉石けん社長 森田隼人さん<前編>

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

梁さん手洗ってますか?

甲木:おはようございます!西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

梁:西日本新聞社の梁京燮です。

甲木:梁さん、手洗っていますか?

梁:きっちり洗っています!ただ、ハンカチを忘れるんですよ。(笑)

甲木:ダメじゃないですか!何で拭くんですか?洗った手を。(笑)

梁:コロナ前は、洗ったらパッパッパッと汚い感じだったんですが、コロナ禍になってからはきれいにハンカチで拭いています。

甲木:今まで以上に、手洗いが大事な時期ということで、今回のゲストをご紹介したいと思います!北九州市若松区にありますシャボン玉石けん社長 森田隼人さんです。

森田:こんにちは!よろしくお願いします。

甲木:シャボン玉石けんといえば、先ほどから手洗いの話が出ていますけども、もちろん石けんで有名な会社です。

森田:ありがとうございます。

甲木:ですが、この前、社長の講演を聞かせていただいたら、最初から石けんじゃないんだよと。今回はその辺からお伺いしたいと思います。

最初は石けんじゃなかった。石炭でにぎわう若松で110年前に創業

森田:おかげさまで今年、創業110周年を迎えることができました。

甲木・梁:(拍手)

森田:ありがとうございます!ただ、今おっしゃったように、最初から石けん屋だったわけではないんです。当時、石炭景気でにぎわう若松の地で、私の祖父が「森田範次郎商店」を創業(1910年)いたしまして、日用品全般を扱う雑貨商のようなものからスタートしました。その中の取り扱い品目に、石けん・洗剤がありました。

当時の若松、石炭を運ぶ「ゴンゾウ」といわれる方や人も沢山いましたので、石けんがどんどん売れていきまして。だんだん石けんに特化していき、販売代理店、特約店、製造委託する半メーカーになりました。

そして、石炭景気の陰りと共に、若松から小倉の方に場所を移して、商売手広くやっていたんですけども。そのころ、日本が高度経済成長に差し掛かり、1960年ごろ各家庭に洗濯機が普及していく中で、アメリカから合成洗剤というものが日本に初めて入ってきました。

商売ってちょろいな。売れに売れた合成洗剤

梁:洗濯が手洗いから自動になるタイミングで洗剤が。

森田:そうなんです。洗濯機の普及に合わせて、合成洗剤がどんどん広がっていったんですけども。その当時、私の父が社長をしていたんですが、洗濯機がどんどん売れていく様子を見て「これからは石けんじゃなくて合成洗剤の時代が来るんじゃないか」と思い、いち早く合成洗剤の取り扱いを始めたんです。

梁:商才があったんですね!

森田:他社より先駆けて取り扱いを始めたので、ぐんぐん右肩上がりに業績を伸ばすことができ、社員も100人ぐらいになって。当時、父はまだ30代前半くらいだったんですが、「商売ってちょろいな」ってくらい。(笑)

甲木・梁:(笑い)

梁:すごいですね!

門鉄(門司鉄道管理局)からの運命のオーダー

森田:すごく売れて、儲かっていたそうなんですね。ただ一つ、その頃から父には悩みができまして…。首回り、ベルト回り、背中に湿疹ができるようになって。薬を塗ってもよくならないので「しょうがない…俺は生まれつき肌が弱いんだ」と思ってたそうで、あまり気にも留めずに合成洗剤を方々に販売しておりました。

その中の取引先の一つに、門司鉄道管理局、通称「門鉄」さん。門鉄さんにもうちの合成洗剤を納めておりました。ある時、担当職員の方に父が呼ばれて行ってみると、うちが作っている合成洗剤で機関車を洗っているけれど、どうも錆びやすいと。そこで、「JIS規格の無添加の粉石けんをおたくで作ってくれ。それだとそんなに錆びないと思う」という依頼をいただきまして。技術的には、難しい部分もありましたが、なんとか試行錯誤の末、JIS規格水準を上回る無添加石けんを完成いたしまして。

試しに、父が家に持って帰って使ってみたそうなんです。そうすると、10年来、薬を塗っても治らなかった湿疹が、1週間も経たないうちに良くなって。そこで初めて、長年自分の肌を悩ませていたのは自分のところの商品である合成洗剤だったんだと。

梁:儲かってはいたけども…。

森田:そうですね。

無添加石けん1本でやるぞ!病室での父の決意

森田:ある時、父が体調不良で病院に行ったら、血圧が200以上もあって。医者からは「このままだと死んでしまうぞ。即入院だ!」と。

梁:やばいですね…。

森田:当時、父は40代前半で働き盛り。死ぬなんか全く考えないようなときに、医者の口から「このままだと死ぬぞ」と言われて…。入院中、病室のベッドの上で「人生って今まで考えたこともなかったけど、いつかは死ぬんだろうな…。人生一度きりであるならば、本当に自分のやりたい、正しいと思うことをやりたい!」と決意しまして。

なんとか無事、退院したその足で会社に行き、従業員を集めて「うちは合成洗剤を全部やめて、無添加石けん1本でやっていく!」という宣言を昭和49(1974)年に出しました。それから、今のように無添加石けん1本のメーカーへと切り替わっていきました。

8,000万円あった月商は100分の1以下に

梁:当時、合成洗剤で儲かっていたのに、一大決心をして会社の方針を変えられたという…それって大丈夫だったんですか?

森田:合成洗剤を売ってた時は月商が約8,000万くらいあったんですが、無添加石けん1本に切り替えた翌月の売り上げが78万円という…。

梁:もう計算できないですけど。(笑)

森田:1%以下。

梁:すごいですね。

森田:それでも父は諦めずに、「まだこの石けんの良さを知らない。皆さんご存じないだけで、この良さをしっかりと伝えて、合成洗剤との違いを多くの人に知っていただければ、78万が100万、200万、そして8000万を超えていけばいいじゃないか」と。従業員の反対も更に押し切って、無添加石けん1本の経営へ舵を切ったと。父の中では「こんな良い商品売れないはずがない!」と思ってたんですね。しかし、そこから17年間赤字がずっと続いてしまったんですね。

自然流『せっけん』読本がベストセラーに!全国から注文が!!

甲木:よく17年も持ちこたえましたね。

森田:そうですね。合成洗剤を売ってた時の蓄えが非常にあったり、リストラすることなく社員が辞めていったりとか。

甲木:なるほど。

森田:あと、金融機関さんからの融資も今とちょっと情勢が違ってまだしていただきやすかったというのもあって、なんとか潰れずにきたんですけれども。さすがに、蓄えもなくなりお金も借りれなくなってきて…。「物には自信がある!だけど、それをどうやって伝えよう…」と思い悩んだ結果、「本を出そう!」と。

社長業の傍ら「自然流『せっけん』読本」という本を1991年に出版しました。これが、石けんと合成洗剤の違いなどを詳しく書いた本なんですが、異例のベストセラーとなりまして。今、30刷りを超えて文庫本にもなってるんです。すると、この本を手に取って読んでいただいた全国の方々からたくさん注文が入って、翌1992年18年目にして初の黒字化になったんですね。

梁:すごいなー!

甲木:最初から石けんじゃなかったのよ。お父様の信念で、こうやって押しも押されもせぬ石けんメーカーへとなられたってことですよね。

森田:はい!

〇ゲスト:森田隼人さん(シャボン玉石けん社長)

〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、梁京燮(同)

(西日本新聞社北九州本社)

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