北九州市指定史跡「曲里の松並木」 長崎街道・黒崎宿に残る江戸時代の名残り
JR黒崎駅を出て10分ほど歩くと黒崎ひびしんホールと八幡西図書館が見えてきます。
ホール、図書館の順番で施設前を通り過ぎると、図書館の先に現れるのが北九州市指定史跡「曲里(まがり)の松並木」です。
今回は「曲里の松並木」について紹介します。
徳川幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残り
江戸時代に徳川幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残り、それが「曲里の松並木」です。
江戸時代には五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)と各地へ向かう主要な脇街道として十街道が次々と開通しました。九州で唯一の脇街道である「長崎街道」は、小倉北区の常盤橋を起点とし、長崎までを結ぶ57里(約228キロメートル)の街道。25カ所の宿場があり、福岡藩内の黒崎、木屋瀬、飯塚・内野・山家・原田の各宿は筑前六宿と呼ばれ、大変なにぎわいをみせました。
江戸時代後半には、参勤交代の大名や長崎奉行だけでなく、伊能忠敬やシーボルト、象なども長崎街道を通ったと言われています。
散歩道として利用する市民の姿も
1945(昭和20)年頃までは、黒崎から木屋瀬にかけて長崎街道にも多くの松が残されていました。昭和30年代には街道松は57本あったそうですが、枯れたり倒れたりして現在では当時の松は2本を残すのみとなっています。また、1999(平成11)年の台風で倒れ、枯死した松は樹齢推定143年。その根株は江戸から平成までの5つの時代を生き抜いた松として保存されているとのことです。
なお、北九州市史跡として指定されている「曲里の松並木」の範囲は旧街道緑地の一部で、幅20~30メートル、長さ約310メートル、面積約8000平方メートルとなっています。散歩道として利用する人も多く、取材日も松の木々の間から差し込む木漏れ日を受けながら歩いている人たちの姿が見られました。
■所在地/八幡西区岸の浦2-6ほか
※2022年8月31日現在の情報です
(北九州ノコト編集部)