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生まれた時から家にラグビーボールが転がっていた 元ラグビー選手/福山組・中野裕太さん

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。今回のゲストは、元実業団のラグビー選手で、現在は八幡西区の建設会社、福山組に所属する中野裕太さんです。

昨年春にラグビー選手を引退 戸畑にある鞘ヶ谷ラグビースクール出身

甲木:おはようございます。西日本新聞社ナビゲーターの甲木正子です。

横山:同じく西日本新聞社、横山智紀です。

甲木:横山さんはラグビーとかは観戦されますか?

横山:あまりしないです。

甲木:私は弊社の新聞社の子ども記者を担当している時に、子ども記者の一人がラグビーをしている少年で、「博多の森であるラグビーの試合を取材したいです」と言われて、そこで生まれて初めて見たんですよ。今日のゲストはそのラグビー関係者です。プロのスポーツ選手をお招きするのはこの番組始まって以来です。元実業団のラグビー選手で、現在は八幡西区の建設会社、福山組にお勤めの中野裕太さんです。中野さんよろしくお願いします。

横山:よろしくお願いします。

中野:よろしくお願いします。

甲木:中野さん、現役時代は神戸製鋼、そして釜石シーウェイブスと実業団で活躍されて、昨年の春に現役を引退されました。今何歳でいらっしゃいますか?

中野:昨年の11月で34歳になりました。

甲木:そうなんですね。ラグビーとの最初の出会いを、お伺いしたいのですが。

中野:ラグビーボールとの出会いが最初で、僕が生まれた時には父が家にラグビーボールを転がしていました。ラグビーとの出会いとなると、小学校三年生の時に戸畑にある鞘ヶ谷ラグビースクールという、新日鉄八幡のラグビーチームのOBが作ったラグビーチームでやり始めたのがきっかけです。

甲木:お父様がラグビーボールを家に転がしていたということですが、お父様はラガーマンじゃないんですよね?

中野:そうなんです(笑)

甲木:なぜ家に転がってるんですか?(笑)

中野:子どもにはラグビーをさせたかったみたいな感じで、自然とラグビーボールを近くに置いとくという意味で、ラグビーボールを買っていたらしいんです。

甲木:そうなんですね。鞘ヶ谷ラグビースクールは名門のラグビースクールで、いろんな選手を輩出しているところですね。有名な新日鉄ラグビーチームのOBの方が作られたスクールで少年に指導していますが、中野さんはご兄弟でそこに通われていたということですね。

中野:はい、僕が始めた後に弟が生まれて、週末に僕が練習に行く時、弟は赤ちゃんのときから両親とずっとグランドに来てました。それで弟は自然とラグビーを始めた感じですね。

甲木:なるほど。その弟さんがまた有名な選手で、中野将伍さんというワールドカップの時の日本代表ですよね。

学生時代とはレベルが違った実業団

甲木:ところで東筑高校から早稲田大学とずっとラグビーをされていたわけですけど、卒業したら実業団に行きたいというのは決めていたんですか?

中野:そうですね。ずっとラグビーで進学してきましたので、自分の中では最高峰でもある実業団でやりたいという気持ちはありましたね。

甲木:そうなんですね。それはどうやって就職するんですか?

中野:スカウトです。実業団の各チームにスカウトの人がいて、その人たちが各大学の試合などを見に行って直接声をかけるという感じです。

甲木:では、履歴書を提出すわけではないのですね。

中野:形式的に提出しますけど、基本的にはラグビーをという感じで就職ですね。

甲木:実業団に入ってみてどんな感じだったんですか?

中野:レベルがすごく高かったですね。早稲田大学も大学の中では強いチームみたいな感じですけど、やはりレベルが1段階も2段階も違いましたね。頭も使うし、体も強度が高いから練習中でもすごく大変だし、各国の代表選手もいるし、レベルはすごく高かったですけど、やはりレベルの高い中でやるっていうのはすごく楽しかったです。

後悔の無いラグビー人生

甲木:昨年の春、現役の選手を引退されたんですけれども、きっかけは何かあったんでしょうか?

中野:一つは、1番上の子が今年(幼稚園の)年長で、地元の幼稚園に行って友達がいる状態で小学校に行かせたいといことがありました。あとは怪我もあり、最後の3年ぐらいはずっと足首が痛くて、それを庇うとふくらはぎが痛くてよく肉離れを起こしました。後悔したくないので手術をしましたが、開けてみたら思った以上にひどかったんです。最後の一年を契約する前から、チームやGMには「最後の一年にします」と言っていました。最後のシーズンが終わる時、「気持ちの変化はないか?できればもう一年やってほしい」と言って頂いたんですけど、「限界です」と伝えました。最後のシーズン、僕はあまり試合に出場できませんでしたが、何の後悔もなくやりきったなという感じでラグビー人生を終われました

甲木:そうなんですね。やはり大変ですね。

中野:そうですね。体にはすごく悪いですね。試合の前の麻酔とか、「これ以上、足首に液体が入らん」ってドクターが言ってました。

甲木:ちょっと想像できないですね。

中野:そうですね。普通の人はなかなか無いことですね。

甲木:楽しいお話は尽きませんが、残念ながら本日はお時間となってしまいました。来週は会社員としてのセカンドキャリアに踏み出した中野さんの話、そしてこれから地元で取り組んでいきたいお話などをお聞きしたいと思っています。

横山:今日はありがとうございました。今日の話を聞きまして、プロの契約をするという場面も然りですし、プロスポーツ選手のカッコ良さや凄みを感じました。

甲木:本日は、元プロラグビー選手で、現在は地元の福山組でお仕事をされている、中野裕太さんをお迎えしてお話を伺いました。中野さん、どうもありがとうございました。

横山:ありがとうございました。

中野:ありがとうございました。

 

〇ゲスト:中野裕太さん(元プロラグビー選手/株式会社福山組)
〇出演:甲木正子、横山智徳(西日本新聞社北九州本社)

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