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無法松の一生に感動し人力車夫に/小倉城城代・小倉市五郎さん

(アイキャッチ画像:ゲストの小倉市五郎さん)

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

そもそも「城代」って?

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

井上:同じく、西日本新聞社の井上圭司です。

甲木:今日は、小倉城からすごい人が来られています。早速お呼びしましょう。小倉城城代で、無法松人力車の車夫でもある小倉市五郎こと田代規明さんです。よろしくお願いします。

市五郎:よろしくお願いします。

井上:よろしくお願いします。

甲木:小倉城代と紹介しましたけど、お城の代表、ということですよね?

市五郎:そうです。基本的には城主がいて、城主が不在のときに城主の役割を務める係のようなものです。こう言うと恐縮ですが、お城の象徴みたいなものでもあります。

甲木:今日、市五郎さんはまさにお城の象徴のような恰好をされていますので、私たちも緊張気味なんですけど、城代として普段はどんなお仕事をしているのですか?

市五郎:小倉城に関連する仕事を全般的にやっていますが、主には小倉城に来られたお客様、観光客におもてなしをすることをやっています。バスで来られたり、歩いて来られたりのさまざまなお客様にアプローチして、盛り上げて、楽しんでいただいています。お城に付加価値をつけるというような感じです。

甲木:全国各地の城にいるおもてなし武将隊のようなイメージでしょうか?

市五郎:そんなカッコいいものじゃないですよ、私がやっているのは。

甲木:いえいえ。城代ですから、カッコいいですよ。

市五郎:まあ、何ていうか、来たお客さんが「小倉城って楽しいね」と思っていただけるようなパフォーマンスはするように心がけています。

甲木:城を紹介するトークなどをされていますよね。さわりだけお聞かせいただけますか?無茶ぶりですけど(笑)

市五郎:〽本日は豊前国は小倉、小倉城にようこそお越しいただきまして、誠にありがとうございます。小倉という場所は、昔から要衝の地でございますので、古くからこの地にはお城が建ってございました。その名前も指月城、湧金城、鯉ノ城、勝野城、勝山城など、いろいろな名前で呼ばれていると言われております!ええ、こんな感じですか?

甲木・井上:(拍手)おおーっ!…素晴らしいです!

甲木:でも、小倉城ってそんなにいろんな名前があったんですか? へぇーっ!小倉っ子なのに知りませんでした。…すごいですね。ちょっとこれ、小倉城に聞きにいかないといけないですね(笑)。今年の4月に確か、リニューアルして、TEAM城下町小倉共同事業体というところが指定管理者になって、見せ方が変わってきたと聞いていたんですけど、そのパフォーマンスをやっているのが市五郎さんなんですね?

市五郎:そうですね。パフォーマンスもですし、しゃべるだけではなくて、衣装にも工夫して、その時代にタイムスリップしたかのような感じを出しています。小倉城と、小倉城庭園、しろテラスという施設がありますが、小倉城には侍の雰囲気を出して、忍者がいたりとか、庭園はいわゆるお茶を差し上げるところで、おもてなしの雰囲気にしていて、そして、しろテラスには町娘が居たりとか、衣装もそれぞれの雰囲気にあわせて表現しています。

転機は「無法松の一生」

甲木:市五郎さんがそうやって今、小倉城でのめりこんでいらっしゃる前は福祉施設で働いておられたそうですけど、全然違う職種ですよね?

市五郎:そうですね。違いますね。

甲木:何歳くらいのときに福祉施設で働いていたんですか?

市五郎:30から31、そのくらいですね。…30代でした。

甲木:そうなんですね。その頃にその仕事をして、お年寄りのために芝居とかもやっていた、その時はやっぱり福祉の仕事が好きだったんでしょう?使命感というか…。

市五郎:まあ、何事でもそうですけど、仕事って面白くないなとか興味ないなと思っててもやってたら楽しくなるようなもので、私も最初は、まあ介護保険がちょうど始まる時で、とりあえず医療系なんかも興味があったので、まずやってみようかなと思ってその道に入ったんです。そしたらなんかね、だんだんこうのめり込むというか、うん、面白くなってきまして…。

甲木:聞くところによると施設長までされたんですよね?

市五郎:そうですね。任されまして。私なんかに。

甲木:いやいや。それは多分、市五郎さんが一生懸命されていたから、責任者になられたんでしょうけど。普通だったらそこで、安定しているじゃないですか。なぜそこからお城に行かれたのががよくわからないんですけど…。

市五郎:福祉施設では年に1回、芝居に真剣に取り組んでいたんですけど、芝居の題材を探すのに、地域のネタがいいだろうということで、「花と龍」をやったりする中で、私は小倉出身なのに「無法松の一生」を読んだことがなかったんです。そして初めて、31歳か32歳のときに「無法松の一生」を読んで感動したんです。もう、最後の章で、松が吉岡夫人に看取られて、というところで、もう号泣でした。「こんなにいい話があったんだ」と思って。「これは絶対に小倉で人力車を引くべきだ」と、その時に即思ったんです。そして、同時に頭に浮かんだのが小倉城。愛する小倉城がずっと気になっていたので「小倉城があるじゃない。あそこでやったら…」と、結び付けて考えるようになったんです。

甲木:それで福祉施設を辞めて…

市五郎:そうですね。だから福祉施設があったから、無法松に出会った、だから人力車に行った…。まあ、自然な流れと言えば自然の流れなんですよね。

甲木:なかなか普通の人はそこまで思い切れないでしょうけど、そこまでやっぱり「無法松の一生」に心を動かされたんですね。

市五郎:うん、いい話だなと思いましたね。

甲木:それで「人力車引きたい」で、「あ、小倉城の近くで」みたいな…。

市五郎:私だけが引いても、それで観光が変わるわけではないですけど、せめてその歯車の一部になることで、次の歯車が出てきたらいいなと考えましたし、まずその観光地らしさをいっぺんでも、ちょっと表現できたらそれでいいんじゃないかと考えたらいてもたってもいられなくなったという流れです。

甲木:いくら無法松に感動しても、なかなかそこまで思いたたないと思うし、安定した職場もあったのに、という中、人力車をいよいよ始めるというお話しに行きたいところですけど、また次回聞かせていただければと思います。今回は小倉城の城代で無法松人力車の車夫もしている小倉市五郎こと田代規明さんをお招きしてお送りしました。市五郎さん、どうもありがとうございました。

市五郎:ありがとうございました。

井上:ありがとうございました。

 

〇ゲスト:小倉市五郎さん(小倉城城代)

〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、井上圭司(同)

(西日本新聞北九州本社)

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