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エンジニアの育成で社会を変えていきたい!/株式会社フロイデギズモ 社長 吉谷 愛さん

(アイキャッチ画像:ゲストの吉谷愛さん)

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

起業家になったきっかけ

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

井上:同じく、西日本新聞社の井上圭司です。

甲木:井上さん、女性の起業家の方と今までお会いされたことありますか?

井上:この方っていう方は、特にいらっしゃらないですね。

甲木:今日のゲストは、私が女性起業家を増やさないといけないシンポジウムのようなものに、出席した時に初めてお会いした人です。では、早速お呼びしましょう。北九州市小倉北区に本社があるIT企業フロイデギズモ社長の吉谷愛さんです。よろしくお願いします。

井上:よろしくお願いします。

吉谷:よろしくお願いします。

甲木:IT企業フロイデギズモと紹介しましたが、吉谷さんはですね、障害者の就労施設の“あいふろいで”という施設と、それからエンジニアの育成をするフロイデールという会社の社長でもあるんですよね。

吉谷:はい。

甲木:たくさんの。企業経営されている吉谷さんが、そもそもなぜ起業家になられたのか、そのきっかけから伺いたいと思います。

吉谷:はい。ありがとうございます。それを聞かれると私、ここにいていいのかなっていう気持ちになっちゃうんですが、20年前に起業したんですけれど、それまで私は専業主婦になりたかったんですね。時代もそういう空気で、短大を出て事務員になって、そして20代のうちにいい人を見つけて結婚して家庭に入るっていうのが、デファクトスタンダードだった時代が20年前にありまして、その時代に乗ろうと思って、29歳で今の主人と結婚しました。新婚旅行に行って帰ってきて3週間後ぐらいに、夫がその当時の会社の上司と折り合いが悪く、過敏性大腸炎にかかり会社に行けないということになりました。

甲木:ストレスでですね?

吉谷:はい。それで結局退職せざるを得なくなっちゃったんですね。今ならもう絶対離婚していると思うんですけれど、その時まだ結婚して3週間しか経ってないし、どうしようか悩んでた時に、主人が家でプログラミングならやれるので、そういう仕事を持って帰ったらやれるというふうに言ってくれたので、そういうお仕事を取ってこようと思いました。後で考えたらこれってバックキャスティングっていう考え方なんですよ。

甲木:今、流行りのですね。最初に目標を決めて、そこから逆算して解決策を見つける思考法ですね。

吉谷:はい。そうです。その時はそんなこと何も分からないまま、バックキャスティングをやってお仕事を頂いて、入金があって支払うことができました。それが一番最初のフロイデの起業ですね。

フロイデギスモの会社概要

甲木:そのフロイデという会社でやっていたお仕事というのが、先ほどプログラミングとおっしゃっていましたから、ウェブ関係のお仕事ですか?

吉谷:そうですね。当時はまだウェブがそんなに一般的ではなかったんですけど、その当時で割と新しい芽の技術で、システム開発をやっていました。

甲木:じゃあ、起業してから結構、順調に業績を伸ばした感じですか?

吉谷:そうですね。いろいろ紆余曲折もありましたし、決して売上とかも順風満帆ではありませんでした。しかし私自身が自分のシステム開発やシステム設計があまり得意ではないけども、エンジニア育成は割と好きだったんです。自分がそんなに飛び抜けてできなかったので、できない人がどこで引っかかるかっていうのは割と見極めるのが得意で、今のフロイデグループ全体で100名弱ぐらいエンジニアがいるんですけれど、そのうちの大半は未経験者ですね。

井上:一人前のエンジニアになるのに、大体何年ぐらいかかるんですか?

吉谷:人によるんですけれど、だいたい3年目ぐらいから花開く人が多いですね。

東京へ進出

甲木:東京にも進出されましたよね。

吉谷:そうですね。進出したときはちょうどリーマンショックの時で、それまではその無理せずにお仕事を頂けていたんですけれど、リーマンショックになってから、お仕事がパタッと無くなったんですよ。資本金が1000万で、販管費がだいたい月1000万ぐらいで、でも売り上げが500万しかないという状況で、これどうするの?みたいな感じでした。それで東京に仕事を取りに行こうということになり、福岡の方に来る仕事が無くなった時に、何社か東京経由でお仕事の話はあったので、それならもう東京に行っちゃおうと思いました。でも、行って何をどうするかとか全然イメージが無くて、私の営業は全部独学でその場のノリでやってきたので、行ったあと一応ホテルを借りてたんですけど、どうしようかなっていうのは羽田空港の中で考えました。その結果、浜松町に行って割と高そうなスナックを探して店に入り、そこに来てるお客さんと仲良くなって飲んで、そこで「一番偉い人誰?」とか言って、名刺を頂きその次の日に営業に行くということをやってました。

井上:すごい飛び込みですね。

甲木:リーマンショック後ではありましたが、東京で腹を括ってやって行こうということで、お仕事もちょっとずつされてたという感じだったんですね。

吉谷:はい。ただ、ちょうどその時に、引っ越して主人が来て2カ月ぐらいで妊娠してですね、わりと仲良くなったお客様のところに営業に行って、「これで発注来なかったら、ここで産みますよ」と言ってました(笑)

甲木:良い武器になったわけですね(笑) それで東京で、子どもを産み育てながら東京の業務を拡大していったという感じなんですか?

吉谷:はい、すごく楽しくて自分にもよく合ってるなと思ってたんですけど、主人が脳梗塞になり、その後息子が生まれてすごく嬉しかったんですけど、育児などを頼めなくなりました。今のようにベビーシッターの補助がない時代だったので、ベビーシッターを頼んでも費用が負担になりました。その時は具体的には動かなかったんですけど会社の売却も視野に入れ始めました。ただ自分が売却したいのかと考えたときに、したくない自分がすごくあって、今まで社員も頑張ってくれてるし、私自身もここで辞めるのは何か違うと思いました。何が違うかを考えたときに、私にしかできないことは何なのかというところで、エンジニア育成ということが出てきたんですよ。私よりも優秀な営業の方も、エンジニアの方も、マネジメントができる方も、たくさんいるけれど、既卒のニート、フリーター、アーティストたちを、雇用してエンジニアにできるというところであれば、私しかできないと思い、育成をするフロイデという会社を福岡で設立して今に至ってます。

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