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“草プロレス”で北九州を盛り上げたい!社会人プロレス団体「がむしゃらプロレス」再始動

「がむしゃらプロレス」副代表の鉄生さん(写真左)とゲレーロさん(写真右)

2003年に旗揚げし、17年にわたって北九州で活動を続けている社会人プロレス団体「がむしゃらプロレス」。新型コロナの影響を受け、今年3月にチャチャタウン小倉で実施したイベントを最後に半年以上にわたり、外部での活動を自粛していましたが、11月29日に再始動するとの情報が!

偶然チャチャタウンのイベントを見て「あの人たち一体何者なんだろう?」と気になっていた編集部では、「がむしゃらプロレス」の副代表を務める2人、鉄生(てっしょう)さんとトゥルエノ・ゲレーロさんに話を聞いてきました。

プロレス居酒屋で出会ったプロレス好きが集まり、“見る側”から“戦う側”へ

今年3月にチャチャタウン小倉で行われたイベントの様子(写真提供:がむしゃらプロレス公式ファンサイト)

そもそも団体発足のきっかけとなったのは、プロレスファンが集う「プロレス居酒屋がむしゃら」(小倉北区昭和町)のオーナー、矢野貴義さんの「草野球のチームがあるなら、草プロレスがあってもいいんじゃないか」という一言。その言葉で有志数人が近くのプロレス道場に通い始め、プロの選手に指導してもらうなど、プロレスを“見る側”から“戦う側”へと徐々に変わっていきました。

2003年12月には、小倉北区にあった紫水会館で、社会人プロレス団体「がむしゃらプロレス」の旗揚げ戦を開催。旗揚げ10周年の2013年には専用道場を開設しました。17年が経った現在はスタッフも含め、20代から40代後半まで20人を超えるメンバーで活動を行っています。全員が社会人ながら、年数回の自主興行を企画・実施するほか、高齢者施設や福祉施設などへの慰問事業、地域の祭りやイベントなどへの出演なども積極的に行っています。

デビューを目指し、仕事帰りに広場に敷いたマットで練習を重ねた日々

「最初は自分も居酒屋の客だったんですよ」と話す鉄生さんのように、「プロレス居酒屋がむしゃら」に通っていたお客さんが自分もやってみたいと仲間に加わったり、先輩に誘われて加入したり、メンバーに入った経緯は人それぞれ。柔道やアマチュアレスリングなどの経験がある人もまれにいますが、ほとんどが初心者からのスタートだと言います。

とはいえ、メンバーになったからといって必ずデビューできるわけではありません。プロレスは何かあったら、自分だけでなく相手にもケガを負わせてしまう、最悪の場合は命を落としてしまう、それだけの危険も伴っています。だからこそ、時間をかけて練習を重ね、先輩たちに太鼓判を押してもらってから、ようやくデビューできるんだそう。

普段は仕事を持っている社会人ばかりなので、練習は平日の仕事帰りに行っていますが、初めのうちは練習場もなかったため、北九州メディアドーム前の広場にシートとマットを敷いて練習していたと言います。「プロレスは受身が大事なので重点的に練習するんですが、公園などでそんな練習をしていると見た人は驚きますよね。通りかかった人たちに『何をしているんですか?』と聞かれることはしょっちゅうでした」と、当時を振り返る鉄生さん。だからこそ地道に練習を重ねてデビューが決まった時は、緊張や不安もあったけれど嬉しかったそうです。

“楽しい”という気持ちが勝つから、大変だけど続けられる

プロレスは一般的に「ベビーフェイス(正義役)」と「ヒール(悪役)」に選手は分けられるので、それに合ったコスチュームやリングネーム、表情、立ち居振る舞いなどを考え、普段とは違う自分を表現しなければなりません。中でも分かりやすく自己プロデュースできるのは、衣装なんだそう。

「専門店でフルオーダーしてコスチュームを作ってもらう人もいれば、スポーツ用品店で買ったウェアの人もいるし、いかに衣装にお金をかけずに目立てるかということを考えて“水着”で試合に出る人もいます」と話すゲレーロさんも、そのマスクを見れば衣装へのこだわりの強さが一目瞭然です。

コスチュームの製作費はもちろん、遠征費なども自腹なんだそう。「岡山に遠征したときは、1台の車にみんなで乗り合いして、片道6時間かけて行って、数十分試合をして、また6時間かけて帰ってきました。次の日はみんな普通に仕事があるので、おいしいものを食べたり、観光したりということはほとんどない。それでも“つらい”というより“楽しい”という思いの方が勝つ。だから続けられているんでしょうね」と、ゲレーロさん。

お客さんに元気を与え、お客さんの言葉に力をもらう

観戦者に貸し出される応援グッズ「パタパタハンド」も試合を盛り上げます

社会人としての生活もありながら、それ以外の休日を「がむしゃらプロレス」として慰問やまちおこしイベント参加などの活動に充てている皆さんですが、それらはすべて「プロレスを通じて、自分たちのまち北九州を盛り上げよう」という想いから。「自分たちは好きなプロレスをやっているだけなのに、『がむしゃらプロレスを見て元気をもらった。明日からも頑張ろうという活力になった』とお客さんから言ってもらえる。本当に嬉しいことだし、その言葉が今度は自分たちの力になる。やりがいがありますよ」(ゲレーロさん)。

また、東日本大震災の被災地に娯楽を届けて少しでも楽しい気持ちになってもらいたいと、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区で復興支援の試合を行ったり、熊本地震では現地で炊き出しを行ったり、九州豪雨のときは“チャリティーチョップ”を企画したり、災害支援のための活動も多数行っています。「チャリティーチョップは募金をすると好きな選手にチョップできるんですけど、これがまあまあ痛い(苦笑)」(ゲレーロさん)と言いながらも、全員が一丸となって人のために動いてきました。

ここ数年は月1回、何かしらのイベントがあっていたという「がむしゃらプロレス」の外部活動も、新型コロナの影響を受け、今年3月に行われたイベントを最後にいったん休止。練習は続けているものの、お客さんの前でプロレスを披露するという機会はなくなりました。

前代表の遺志を受け継ぎ、新体制で再始動

今年8月には「がむしゃらプロレス」創設のきっかけを作った人物であり、旗揚げから代表を務めていた矢野貴義さんが逝去。新体制での活動が始まりました。

「亡くなる直前まで『人のために動く』ということを自ら体現して、背中で見せてくれていた人でした。僕たちにもつらいところを一切見せなかった。真似したいけれど真似できないですね」(鉄生さん)、「人として、男として学ぶことが多い。お客さんには毎回楽しみに来てほしいからと、お客さんを飽きさせないようなプロデュースをしてくれていたアイデアマンなんですが、自分たちの予想の上をいくような内容ばかりなんですよ。今は運営部5人でプロデュース・運営をやっているけど、初代はこれを1人で全部やっていた。その大変さをいま身を持って分かっている。僕たちが束になっても敵わない存在です」(ゲレーロさん)と、矢野さんへの想いを語ってくれた2人。

彼らをはじめとする「がむしゃらプロレス」メンバーは、「人を喜ばせてなんぼ」という考えの持ち主だった矢野さんの遺志を受け継ぎ、コロナ後初となる自主興行を11月29日に企画。「お客さんの前でこんなに試合をしてないのは初めて。今は試合がしたくてたまらない」「再開をずっと待っていてくれたお客さんの前に立てることが嬉しいし、新鮮だし、懐かしい」とあふれんばかりの気持ちをそれぞれが抱き、再び動き始める「がむしゃらプロレス」のこれからに注目です。

◆がむしゃらプロレス 公式Facebook 公式Twitter

(北九州ノコト・植田詩生)

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