【ファンファン北九州#36】歴史案内人 瀬戸春巴さん<後編>
西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。
歴史案内は小倉への恩返し 小倉祇園の太鼓の音は血がたぎりますね
甲木:梁さん、先週濃かったですね。
梁:今日も濃い話が聞けるんですよね。楽しみですね。
甲木:先週に引き続き、生まれも育ちも小倉という歴史案内人 瀬戸春巴さんをゲストにお招きしお話を伺います。瀬戸さんよろしくお願いします。
瀬戸:よろしくお願いします。
甲木:先週は、小倉城の築城のお話とか聞かせていただいたんですけれども、そもそも瀬戸さんは本業が建築デザイナーであり、家業の不動産のお仕事もされていて、歴史案内人は職業じゃないんですよね?
瀬戸:そうですね。半分職業ですけど、ほとんどは小倉の街への恩返しのつもりでしてます。
甲木:その「恩返し」って瀬戸さんよくおっしゃるんですけど、それはどういうところに恩を感じているんですか?
瀬戸:結局、先祖への恩ですね。先祖への恩ですし、街への恩ですね。小倉の街によって育てられてますので。
甲木:その街に育てられたなって実感される時ってどんな時ですか?
瀬戸:やはり祇園さんの太鼓の音を聞くと血が滾ります。
甲木:DNAですかね。(笑)
瀬戸:しばらく大阪でも仕事をしたことがあるんですが、やはり「故郷忘じがたし」と思うところがあります。初めて故郷を離れると、故郷のことを思って自分の胸が熱くなるときがありますね。
甲木:なんか祇園さんは分かりますね。私も祇園さんの練習の音を聞くと思います。子どもの頃を思い出しますよね。
梁:やっぱりその季節になるとあちこちから太鼓の音が?
甲木:練習の期間が決まっているんですよね?昨年はなくて残念でしたけど。
きっかけは砂津川 祖父が見せてくれた江戸時代の地図
甲木:先祖代々小倉の人で、もっと小倉の歴史を知りたいということで、ご自分でお勉強されたんですか?
瀬戸:そうですね。きっかけは、前回お話しした砂津川の話ですね。小学校の先生が「古代はあそこに港があった」って話したんですね。たまたま先生の勘違いだったんですが…。
甲木・梁:(笑い)
瀬戸:それをおじいさんに話すと「お前は馬鹿か」と言われまして。
甲木:あら!そうなんですか?
瀬戸:それがきっかけです。「なぜ、お前はそこで調べなかったのか」と言われて。
梁:おじいさんに?
瀬戸:「地図を見なさい」と言われて、家にある江戸時代の古い地図を見て説明してくれたんですね。「こんなふうに川が分離するはずがないだろう」って言って。直角に分離してますので。だから「ここは掘ったんだ」と。
甲木:おじいさまも凄いですね。
瀬戸:たまたまでしょう、おじいさんも。
甲木・梁:いやいやいや。(笑)
甲木:それから、たくさん古地図とか集めては眺めて?
瀬戸:自分の家にある地図であるとか、自分で買い求めたりとか気になるんですね。
西日本新聞北九州本社がある堺町は長崎町だった?
甲木:じゃあ、西日本新聞社がある堺町も?
瀬戸:あそこは昔「長崎町」と呼ばれてました。旧長崎町から、「円應寺筋」と呼ばれて、その後に今の堺町に。全然町名が違いますよね。
甲木:その「長崎町」はあの長崎県の「長崎」?
瀬戸:そうです。昔の小倉城創建当時の城下町の呼び方で、あの辺りは長崎町と呼ばれていました。
甲木:何で長崎なんでしょうね。小倉なのに。
梁:由来は?
瀬戸:由来は分からないんですが、どうもあの辺にキリシタンの天主堂があったんじゃないかといろんな郷土史家の方が言われております。
甲木:瀬戸さん、以前「ガラシャの木」というのを教えてくださいましたよね。まさにその辺り?
瀬戸:そこですね。
梁:あの近くにガラシャの木が?
瀬戸:そうです。
甲木:そのガラシャは誰のことか分かるかな?
梁:えっと、細川ガラシャ!
甲木:そうです!誰の娘か分かるかな?
梁:信長。(笑)
甲木:明智光秀。
梁:そうか!
甲木:光秀の娘が細川忠興の妻になる。
瀬戸:「ガラシャの木」は、私が子どもの頃からずっとあって、モノレールが通っても数年あったんですが、結局枯れてしまいました…。
梁:あぁ…もうないんだ…。今行くとわかるんですか?
瀬戸:わかりません。駐車場になって、アスファルトでふさがれているので。
梁:細川ガラシャの木があったとかそういうことも書いてない?
瀬戸:宝くじ当たれば、その土地を買いたいなと思っていますね。(笑)
梁:当たるのを祈ってます。
甲木:看板立てて欲しいですよね。
梁:そうですよね。歴史的な場所なんで。
甲木:昔の写真が残っているんですよね?
瀬戸:1枚だけ残っています。
歴史って個人の物語
甲木:そもそも、瀬戸さんにとって歴史っていうのは何でしょうか?
瀬戸:これは僕の言葉じゃないですけど、民俗学者の樋口清之先生(1909-1997)って方がいまして、歴史をとことん詰めると個人の物語になると。
甲木:個人の?
瀬戸:個人の物語がたくさん集まると郷土史になるし、それが民族レベルで集まると国史になると。それが一番心に響きましたね。だから、人間一人一人みんな物語があり、小さく言えば親の物語がある。私も先祖代々小倉に住んでいますが、曾おじいちゃんの時代は、丁髷(ちょんまげ)を結って魚町通りを歩いてるんですよ。そこを僕も洋服で同じように歩いていると思うと感無量になりますね。
甲木:個人と繋がっていて、それが街の歴史であり、国の歴史っていうことですね。
瀬戸:教科書に載ってるのは「制度史」であって、個人個人のことは載っていませんが、それの共通項じゃないですかね。
史跡の看板を立てていきたい
甲木:瀬戸さん自身、これからやってみたいなと思っていることありますか?
瀬戸:できれば小倉の史跡の看板を立てていきたいなと思います。小さくてもいいから。誰かがやらないとね。北九州市もコロナでお金無いでしょうし、私もありませんけど。(笑)
甲木:なるほど。瀬戸さんが、皆さんに講座でお話されているようなことを、まだまだ街の人はご存じないからですね。
瀬戸:ガラシャの木でも分かりませんから、小さくてもいいから看板を作って立てさせていただきたいなというのが真剣夢です。
甲木:そうすると後世にちゃんと伝えられるからですね。
梁:大事なことですね。素敵です。
いつでも小倉を案内しますよ!
梁:瀬戸さんに案内してもらうのって、どうしたらできるんですか?
瀬戸:いつでも!よくあるんですよ。大阪から来た人を案内したり、NPOの方からマレーシアから来た人を案内してくださいって言われたり。
甲木:西日本新聞も、以前は、瀬戸さんと古地図を片手に街歩きという文化講座をさせていただいたことがあるんですよね。今はコロナでなかなかそういうことができずにいますが…。
瀬戸:小倉の街は急速に発展しました。お寺も移転して、なかなか京都の街みたいな案内は出来ないんですけど、きっかけは必ず残っていますので。きっかけからタイムスリップしていただくのが面白いんです!
〇ゲスト:瀬戸春巴さん(歴史案内人)
〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、梁京燮(同)
(西日本新聞社北九州本社)