「子どもたちの未来を守る」/中谷淳(学童クラブすだち運営)
北九州の門司で民間の学童を運営する、中谷淳さん。
中谷さんが運営している「学童クラブすだち」は、子どもたちの明るい声が響き、ほっこりとした気持ちにさせられると共に元気ももらえる、とても素敵な場所です。
6月にはランドセル用のサブバック「ランドるん♪」を発売するなど(紹介記事はこちら)、学童の運営という枠組みを越え、さらなる活動も行う中谷さんに、学童の運営を始めるまでの道のりや、コロナ禍の苦悩などについて伺いました。
徳島県の超ど田舎で過ごした少年時代
―現在は北九州に住み、学童クラブすだちを運営している訳ですが、中谷さん自身はどのような子ども時代を過ごしましたか?
「徳島県の祖谷というところに生まれ、超が付くほどどの田舎で育ちました。自然豊かな場所なので、夏は家の下の小川で魚を獲ったりしていました。冬は雪が積もるので、ソリで坂道を滑ったりできるようなところでした。私は巳年なんですが、蛇が嫌いで怖くて山から降りられないことがあり、泣きまくってしまったこともありました(笑)」
―自然に囲まれた少年時代だったんですね!
「大自然の田舎で過ごしたからか、海外の自然豊かな場所で生活したいと思うようになり、大学卒業後に単身でオーストラリアのシドニーへ行き、1年ほどホームステイをしました」
―なぜオーストラリアだったのですか?
「英語圏で自然の多い場所に行きたかったのと、ちょうど行く年にシドニーオリンピックがあったことも、オーストラリアを選んだ理由です」
―文化が違う場所での生活はどうでしたか?
「オーストラリアに行ってからは、ひたすら街をうろうろしていました。全く生活も困らず、充実した日々でしたね。オーストラリアの人の暖かさやおおらかさにすごく人間味や家族感を感じました。若かったので余計にそう感じたのかもしれませんが、私の人間としての感覚が変わったような気がしました。懐かしいですね、また行きたいです」
建設業の現場監督から「学童」経営者へ
―オーストラリアから戻ってからはどうされたのですか?
「帰国後は、実家の建設会社に入社し、現場監督として3年ほど勤務しました。社長、専務に近い場所で仕事をすることで、経営を少し学ぶことが出来ましたね。建設会社って、何もないところに道路などを作るんです。それにはすごく達成感を感じました。プラモデルとかミニ四駆とか、子供の頃から作るのが好きだったみたいです。規模は違いますが、あの完成した時の達成感は言葉に出来ないですね」
―仕事になると楽しいことばかりではないと思いますが、いかがでしたか。
「現場監督は、夏は暑いし、冬は寒いっていうのが辛い記憶ですね。1時間働いて、休んでの繰り返しで、効率が悪いなと思い、どうすれば良いかをすごく考えました。就職せずに実家に入ったのも、経営者になりたいという思いがあり、その近道を選んだ形ではあります。もちろん後を継ぎたくて入ったわけですが、入ることで業界全体が見えてきました。建設関係って、元請け、下請け、孫請けの構造で、その階層を努力で変えるのはほぼ無理だということを痛感しました」
―それで建設会社を継ぐことは止めたのですか?
「私が経営者になったとしても、経営努力で会社を伸ばすのは難しいんだろうなと感じると、私の気持ちもゆらぎ始めました。それにちょうどその時期は、世論的にも『公共事業は悪だ』といった雰囲気もありました」
「決め手は、業界全体で従業員の給与を1割下げられた時ですね。会社の業績が悪くて下がるのは分かるのですが、地元の建設会社の団体で話して給与を下げることがあり、これはおかしいぞと思いました。自分で起業したい思いは持っていたので、自身の経営者の道を建設関係ではないところで探し始めました」
ーその後、どういった経緯で学童の運営を?
「私の母親が小学校の教員をしていたつながりで、学校の仕事を手伝うことがあったのですが、大人になって学校の様子を見ていると、飽きない場所だなと思いました。学校って、季節やそこにいる人によって風景や景色も全く変わるんですよね。ただ、学校を立ち上げるのは難しいですし、どうすれば『学校』と『経営』が結びつくかを考える日々が続きました」
「まずは、建設会社に勤務しながら、週に1回のペースで夜に地元の子どもたちに勉強を教えることから始めました。試行錯誤したのですが、学習塾だと普通だなと思い色々と調べると、民間の学童クラブに行き着きました。調べる中で、公立の学童への不満が多いということも分かり、それを民間という立場で補えるのではないかと考え、民間の学童を経営することを決心しました」
―なぜ地元の徳島県ではなく、北九州だったのですか?
「起業するにあたってお金もコネもなく、勢いで進めていたので、妻にもしっかりと働いてもらえる環境の方がリスクヘッジになると思いました。私の住んでいた徳島県の祖谷は、人口が3000人で過疎化と高齢化が進んでいます。学童自体、人がいないと成り立たないビジネスなので、考えなかったですね」
「起業のタイミングで妻の出身地である北九州へ引っ越し、最初は個人で『学童クラブすだち』を立ち上げました。2年後にはレリーフ合同会社に法人化しました。ちなみに“すだち”は、徳島県の名産物“すだち”からきています」
課題解決を繰り返し見えてきたもの
―立ち上げはうまくいきましたか。
「最初は全く知名度もないのでチラシを撒きまくりました。しかし全く反応がなくてですね。それが続いたある日、突然学童の玄関が開いて、そこに親子が立っていたんです。親御さんから『預かってくれるんですよね?』と言われ、一緒にいた女の子を置いて立ち去られました。もちろんその日の夕方に迎えに来られましたが、それから次第に生徒さんも増えていきました」
「初めてのお子様を預かる時、実は名簿や契約書もない状況だったので、親御さんが迎えに来るまでお子さんと過ごしながら、バタバタと準備しました。領収書も手探りで、1日色々と考えながら書類を作成して。そういうのを経験しながら名簿を作り、規約を決め、運用しながら改善に改善を重ねていきました」
―課題解決を繰り返すことで、見えてきたものはありましたか?
「習い事もここで出来たら便利だなと考えました。まずは習字教室から始めて、現場で必要なものを入れ、さまざまなコンテンツを作っていきましたね。試行錯誤の結果が今です」
ー新しい取り組みや今後やりたいことはありますか?
「子どもたちの困っていることを改善したいという思いから、ランドセルのサブバック『ランドるん♪』の開発を昨年より始め、ついに今年の春に販売を開始しました」
「今後は、同じような考えの方と、別の場所でも一緒に教室を広げていければいいなと考えていますね。苦労する部分はあるけど、楽しみを見出せる部分もたくさんあります。子どもたちには未来がある。未来があるからこそ楽しいです」
「ランドるん♪」発売も、コロナが…
ー「ランドるん♪」はメディアにも取り上げられました。
「発売開始と同時にメディアにも取り上げられ、幸先良いスタートだなと思っていたところ、ほぼ同時に悲劇に襲われました。そう、新型コロナウイルスです。コロナにより注文を頂けても入荷が出来ず、お客様には待ってもらうことになりました。当たり前ですが待ってもらえない方もいるわけで、予約のキャンセルが相次ぎました。カバンを作るなんて初めてで、開発や販売にかなりの資金を投じました。その中で今回のコロナ禍があり、『ランドるん♪』の販売は厳しいスタートです」
ー学童運営にコロナの影響は?
「本業の方にもしわ寄せが来ました。学童クラブすだちの営業はほぼストップしてしまいました。緊急事態宣言明けも、通常は200人いる子どもたちの半分ほどしか利用できていません。場所代やスタッフの給与など固定費が大きいので、現状はかなりきついと言えます」
子どもたちの「第三の場所」をなくさない
中谷さんはこの度、子どもたちの笑顔や、従業員の雇用、そして「学童クラブすだち」を守るため、目標金額300万円のクラウドファンディングを開始したそうです。
「クラウドファンディングも初めてなので、正直どこまでいけるかわかりません。ただ、子どもたちの未来や思い出を絶対になくしたくないので、やるからには本気です」と、中谷さんは話します。
「学童クラブすだち」は、子どもたちにとって、家庭、学校以外の「第三の場所」。子どもたち200人のためにも、今やめるわけにはいかないと、中谷さんは支援を呼び掛けています。
(コミュニティメンバー・高橋建二)
◆中谷淳
徳島県・祖谷生まれ、北九州市門司区在住。レリーフ合同会社(学童クラブすだち)の運営。趣味・特技は、子どもたちと野球をすること。
◆クラウドファンディング
北九州市門司の学童クラブが存続危機!子どもたち200名の行き場を無くしたくない!