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再開発後の八幡で地域に愛されるタウンマネジメントを 八幡駅前開発代表取締役・井上龍子さん

(アイキャッチ画像:井上龍子さん<中央>)

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

再開発後のビルの管理運営で街づくり

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

野口:同じく、西日本新聞社 野口喜久子です。

甲木:野口さん、8月に北九州に転勤してきましたけど、街の印象はどんな感じですか?

野口:そうですね、知人が映画会社の方をお連れした時に、小倉駅前を見て「映画の特設みたいな街でびっくりした」ということをお聞きしましたが、私もまったく同様で、歴史もあり、自然豊かで街づくりもとても面白いと思っています。

甲木:映画の特設スタジオみたいな街なんですね。確かに、小倉駅からモノレールが出てくる景色などすごく面白いし、いろんな映画も撮られていると思いますけど、今日はその街づくりに深く関わっている方をゲストにお招きしています。それでは早速、本日のゲストをお呼びしましょう。八幡駅前開発株式会社の社長をしていらっしゃいます、井上龍子さんです。よろしくお願いします。

野口:よろしくお願いします。

井上:よろしくお願いします。

甲木:井上さんは、ずっと前から存じ上げていますけども、改めて会社のお話を聞くのは初めてです。まず、井上さんが社長をなさっている八幡駅前開発株式会社は、どのような会社なのかというところからお話して頂けますか?

井上:はい。私どもの会社は、再開発したビルの後の管理運営をしておりますが、この業界ではビルマネジメント会社と呼ばれております。ディベロッパーさんだったり、ハウジングメーカーさんだったりが、いろんな再開発しておられますが、私たちのところは、都市再開発法という法律を基に開発したところで、限定的に「市街地再開発事業」と言われます。

甲木:不動産とは違うということですね。

井上:そうですね。「区分所有ビル」と言いまして、再開発前の権利者さん、土地をお持ちだった方などがそれぞれビルを区分して持って、一つのビルになっているという感じです。住宅を除いた部分を「施設」と呼びますが、そこの70%ぐらいは弊社が直接所有し賃貸しており、管理はビル全体をさせて頂いています。

戦後復興後の土地を活かした「ガーデンモール」を建設

甲木:八幡駅前は、戦争中に空襲に遭った所ですよね。

井上:そうですね。八幡のエリアというのは、戦災がとてもひどくて、中心市街地の60%以上が戦争で焼けてしまったんです。それをきっかけに、駅がある場所も戦前より西の方に1キロぐらい動かしています。戦前は現在の駅前の場所には丘などがありましたが、戦後そこをフラットに区画整理事業をして、駅・道路・建物などを建て、今の八幡駅前の街並みができ上がりました。

戦災復興事業後の八幡駅からの景観(1955年頃/写真提供:皿倉登山鉄道株式会社所蔵)

甲木:戦後の復興で、そのような街が八幡駅前にでき上がったということですね。でも井上さんの会社が復興したわけではないんですよね。

井上:そうです。建物はどうしても老朽化していきますので、60年ほど経って、戦前にできた建物をつくり変えました。今回の再開発では同じような敷地の使い方をしていまして、3つの街区に分かれています。名称を『さわらびガーデンモール八幡』といって、それぞれ一番街・二番街・三番街となっています。

甲木:そうなんですね。確かに八幡駅を降りて、まっすぐ広い道を歩いていたら“さわらび”という文字がありますね。それは、あの街区全体が“さわらび”ということですね。

井上:そうですね。八幡駅を降りて駅前の南北の大きな道路挟んで左右両側と、昔の旧電車通りと言われていますが、その道路を挟んでもうワンブロック山側の3つのビルを建設しました。

甲木:なるほど。そこのビルマネジメントをしてらっしゃるということですね。3つの街区の中に高層マンションも建っているということですが、この街ができるまでに20年ぐらいかかったということですけども。

井上:やはり、計画がいろいろありますし、なぜ再開発をするかというと、戦後、急激に経済発展して、特に駅前は住宅や店舗などすごく密集していましたので、防災上危険だということで土地を整理したのです。私たちのところは、たまたま幅50メートル、歩道8メートルという大きな道路が戦災復興でできていたので、今回の再開発で道路は、やり直す必要がなく、ほとんど建物を建て直すだけで良かったということです。そういう意味では珍しいことだと思います。

甲木:普通は、道路も広くすることもあるので、立ち退き交渉などで時間かかると言いますけども、そういうことが無くても、やはり20年ぐらいかかるものなんですね。

井上:そうですね。そういうお話し合いをしたり、今は少し条件が変わりましたけど、制度上、全員合意でなければ事業が進められないということがあって、全ての関係者の方が納得した形で事業を進めるのに、いろんな手続きだったり、皆さんの気持ちなどその辺の調整が必要だという感じですね。

将来を見据えた、広い道路

市街地再開発事業後の八幡駅からの景観(2017年/八幡駅前開発株式会社撮影)

甲木:ところで、戦後復興の時からの先見の明のような広い道を作って、両側にビルをということを考えられたのは、やはり当時の市長だったんでしょうか?

井上:そうですね。守田道隆という方だったんです。その方が、東京の関東大震災の時に東京市に勤めていて、復興の現場に関わった方でした。技術者で、しかも欧米の最先端の都市計画の文献を翻訳する仕事もしていました。八幡製鉄所の所長のお声かけがあったようですけど、八幡の市長として来られて、官営八幡製鐵所の設立と共に、そのような人材の方も八幡に来て下さったんです。復興の実践と最先端の都市計画の知識のある守田道隆氏が、こういう形を思い切ってつくったんだと思いますね。

甲木:なるほど。しかし当時の新日鉄は力があったんですね。

井上:そういう意味でもパワーがあったと思います。良い人材を迎え、地域にいろんな協力をして今に残っていますから、そう考えると凄いと思います。

甲木:街づくりの礎ですからね。

井上:そうですね。

甲木:残念ながら、そろそろお時間がきてしまいました。来週は、「そもそも井上さんは、なぜこの会社の社長をしていらっしゃるか」など、井上さんのお人柄が分かるようなお話を伺いたいと思っています。本日は、八幡駅前開発社長の井上龍子さんにお話を伺いました。井上さん、どうもありがとうございました。

野口:ありがとうございました。

井上:ありがとうございました。

〇ゲスト:井上龍子(八幡駅前開発株式会社 社長)
〇出演:甲木正子、野口喜久子(西日本新聞社 北九州本社)

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