北九州市指定無形民俗文化財『大積神楽』 4年ぶり一般公開<夜神楽>【北九州市門司区】
毎年11月3日(文化の日)に、北九州市門司区大積にある天疫神社秋祭りで奉納されている夜神楽が、4年ぶりに一般開催されると聞き、訪問しました。
大積神楽の由緒など、大積神楽保存会会長の柴崎直美さん、会員の村上美世子さんから伺ったお話とあわせて紹介します。
大積神楽の由緒
大積神楽の起源は約250年前に遡り、古くは江戸時代末に神職によって盛んにおこなわれていたものが、時代の流れとともに少しずつ衰退し、一度途絶えたものの、明治時代になって大積地区の氏子が中心となって再び神楽を復活。
復活にあたっては、築城町の赤旗神楽より神楽を伝授、大積ならではの「御先神楽」などの舞も取り入れ、今に引き継がれているのだそう。
地域の強い思いで受け継がれてきた大積神楽ですが、現在、保存会に登録している人数は17人ほど、次世代に繋ぐ後継者不足や会員の高齢化など会存続の危機にあることから、昨年より地域や性別にこだわらず舞人や囃子方に新規会員を迎えています。
新体制での今年の夜神楽は、対岸下関市にある赤間宮から伝授された「浦安の舞」も奉納されました。
神楽とは
神楽には、面をつけずに神楽歌を歌い剣やとりものをもって踊る<舞神楽>と、面をつけて煌びやかな衣装を身にまとった神々が登場し劇をする<面神楽>があります。
起源は、日本の歴史ある書物である「古事記」や「日本書記」に書かれている「岩戸隠れの段」において天照大神(あまあてらすおおみかみ)が天岩戸(あめのいわと)に隠れたとき、天岩戸の前で天細女命(あめのうずめのみこと)が神懸り(かみかがり)をして舞ったものが始まりとされています。
また「神座(かみくら・かむくら)」が転じて「神楽(かぐら)」となった所以から、大積神楽保存会のみなさんは「神楽は神様への特別な贈り物である」と心に留めて舞を奉納されているそうです。
地域との繋がり、後世に繋げる伝承文化
秋祭り当日は17時から祝詞があがるとのことで、神楽開始より少し早めに神社へ向かいました。
日中は暖かい日が差す穏やかな天気でしたが、だんだんと日が暮れる中、境内は凛とした空気に包まれていました。焚火のぱちぱちと爆ぜる音、木の香り、夕闇に映える神社の灯りがとても美しく感じられました。
神社に集った人たちに話を聞くと、「自分の生まれた頃にはすでに神楽があって、今よりもっと賑やかだった」「昔は地域の男の子はみんな神楽をやっていた。女子はやりたくてもできなかったけれど、今は巫女舞もあるし、神楽にも女性が参加できる時代になった」などの声が聞かれました。
保存会会員の村上さんも「子どもの頃、夏から秋に向かう頃、夜になるとどこからともなく笛や太鼓の音が聞こえてきて、もうすぐ神楽の季節だな…」と、神楽の囃子の音色で季節の移り変わりを感じていたそうです。
大積神楽で使われる笛は、神楽に合うようにと、竹選びから始まり、吹き手に合わせて保存会のメンバーが一つずつ手作りしているのだそう。
この日は、地域の子ども達も多く集まっていて、舞台で舞っている舞子の舞に真似て、くるくると回っていました。
5つ目の演目の「御先神楽」の途中で、鬼のような面の神様たちが幼子を抱きかかえる場面があり、恐怖で泣きわめく幼子が続出。御先の神に抱かれた幼子は1年間無病息災で過ごすという縁起があることから、泣く子を抱えて順番を待つ親御さんや祖父母の姿が微笑ましく感じました。
今日のこの日のことを子どもたちはどんな風に感じているのか、大人になった時にどんな風に思いだすのか。自然豊かな大積地区、このすばらしい文化を後世へ繋げて欲しいと強く感じた筆者でした。「一、御神米(こめまき)」「二、折居(おいり)神楽」「三、地割(じわり)神楽」「四、浦安の舞(巫女舞)」「五、御先(みさき)神楽」「六、四方鬼(しほうき)」「七、岩戸(いわと)神楽」と7つの神楽が奉納された後には、神楽が無事に奉納されたことに感謝を込めた祝詞があげられました。
その後に保存会の方から縁起のよい紅白餅やお菓子が撒かれ、令和5年度天疫神社秋祭りは賑やかに執り行われました。
なお、大積神楽は例年2月2日に博多の櫛田神社、2月3日に下関市の亀山八幡宮に節分祭の行事として奉納されています。
■天疫神社所在地/北九州市門司区大積1272
※2023年11月14日現在の情報です
(ライター・kohalu.7)