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僕の人生は「出会いに恵まれている」/Bee那須さん(レフェリー)

(アイキャッチ画像:過去の試合の様子)

2003年に旗揚げし、今年で20周年のメモリアルイヤーを迎えた社会人プロレス団体「がむしゃらプロレス」。

来たる8月27日には日本初(?!)小倉城天守閣でのプロレスが開催決定ということで、さらなる盛り上がりを見せています。

第8弾の今回は、前回に引き続き選手の垣根を超えたシリーズということで、がむしゃらプロレス専属レフェリーのBee那須さんの登場です!

この名前に見覚えのある人、きっと多いはず…!

きっかけはプロレスゲーム?!

ーまず最初に、がむしゃらプロレスに出会ったきっかけ、そしてレフェリーとして参加することになった経緯を教えてください

中学の頃サッカー部に所属していて、当時部内でNintendo64のプロレスゲームが流行ってたんです。

それで興味本位で夜中のプロレス番組を見るようになったんですけど、気がつけばゲームよりプロレスにハマってたっていう(笑)。

もうそこからはプロレスに一直線で、大学もプロレス研究部があるところを選びました。自分もリングに上がりたい!と志して意気揚々とキャンパスライフを送ってましたね。

―大学時代はレスラー志望だったんですね?!

そうなんです(笑)。今じゃこの話誰も信じてくれませんけど、実はレスラー志望でした!

ただ途中でちょっと怪我しちゃって、レスラーを目指すことは難しくなったんです。

それでもプロレス自体は変わらず好きだったので諦めきれなくて、じゃあこの先どうする?と悩んでたところで、実況やってみないか?って先輩に声をかけてもらって、実況に転身しました。

ーそこでレフェリーじゃないのも意外です

実況がある試合もおもしろいですよ!

だけど大学を卒業してからは小倉で就職することになって、すっかりプロレスから離れたんです。まさに心に穴がぽっかりってやつですね。

心の穴を埋めてくれたのはやっぱりプロレス

−でもなんだか引き寄せられるように小倉に近づいてきてますね

もう先が読めますね(笑)。

会社帰りにたまたま通りかかった紫川で、がむしゃらプロレスがサマーバレンタインっていうイベントをやってたんです。それまでがむしゃらプロレスの存在は知らなかったけど、見た瞬間に「これだ!」と思って、もうそのままの勢いで居酒屋がむしゃらに向かいました。

それが2007年の夏ですね。

−レフェリーという役目は誰が決めたんですか?

そもそも僕はプロレスに携われるならなんでもいい!くらいの気持ちだったので、リングにあがる気もなかったんです。それでずっと裏方業務のお手伝いをやらせてもらってました。

当時のがむしゃらプロレス代表の矢野さんに「レフェリーをやらないか?」っていう声はかけてもらったんですけど、明確な返事をしないまま僕自身がすぐに広島転勤になっちゃって。

それでも試合のたびにちょくちょく広島から通ってたんです。その頃にレフェリーとしてもデビューしました。

だけど今度は理学療法士の専門学校に通うために、地元熊本に戻ったんですよね。

−そこからまた学校に通う心意気がすごいです!

当時もう僕は28歳で、クラスメイトはほとんど18歳でしたからね(笑)。

熊本に戻ってからも試合があるたびに北九州には通い詰めていて、2013年あたりのがむしゃらの試合は、ほとんど僕がレフェリーしていたんじゃないかと思います。

ちなみにその専門学生時代に実習で3カ月間八代に住んでたことがあって、HIROYAと出会ったのもその頃です。

那須くんからのアンサーソング

ーここでHIROYAさんのエピソードにつながるんですね!

そうですね。でも僕的に突っ込みたいところが何個かあって。

僕はあのとき飲み屋にいたわけじゃないんですよ。HIROYA達が飲んでた店のマスターと僕が元々知り合いで、マスターから直々に「プロレスを舐めとるやつがおるぞー」って連絡があったんです(笑)。

それを聞いて「プロレスの素晴らしさを教えてやろう!」と思って、わざわざ八代から熊本市内まで1時間以上かけて行ったんです(笑)。

で、初めましてのHIROYAに対して、散々プロレス論を語った後に、じゃあ実際に試合を見てみようってことで、プロレスバーに誘ったんです。

しかもこれ、全部同じ日ですからね。

会ったのはその一度きりで、次はもうがむしゃらの試合会場での再会だったんで。

ー一度しか会ったことのない人と数年後に再会してお互いに覚えてるのってすごすぎませんか?!

どちらかというとHIROYAが覚えててくれたんですよね。がむしゃらの試合会場でやたらデカイにーちゃん近づいてきたなーと思ったら、「那須くーん」なんて言うんですよ。その瞬間に僕も走馬灯のように思い出して(笑)。

2軒ハシゴして飲んだとは言え、連絡先の交換もしてなかったし、その1回コッキリで終わりだと思ってたし、そのままもう何年も経ってたし、まさかまさかですよね。

−やっぱり那須さんとHIROYA選手は運命だったんですね!

運命かどうかは分からないけど、HIROYAのデビュー戦は僕がレフェリーしましたよ(笑)。

地元熊本で、悲願の晴れ舞台

ーそんな奇跡のような再会の他に、がむしゃらプロレスでレフェリーやっててよかったなぁと思える瞬間はありましたか?

熊本に「ビアホールMAN」っていうお店があって、プロレスファン界隈ではめちゃくちゃ有名なお店なんです。そこのマスターたちには昔から本当に本当にお世話になっていて。

学生時代にアントニオ猪木のブロンズ像っていう広告を見つけて一目惚れしたことがあったんですけど、なんとその像は「MAN」マスターの手作り作品だったんです。

マスターは御年89歳の本当にパワフルな人で、3年前には当時闘病中だった矢野さんのためにブロンズ像も作ってくれました。その像は世界に2体しかなくて、1体は居酒屋がむしゃらに、もう1体は僕が預からせてもらってます。

今でも試合のたびに必ず会場に持って行って本部席に座ってもらってるので、みなさんぜひ近くまで見に来てください。

お写真を撮ってもらったり拝んでもらったりしていると僕も嬉しいですし、矢野さんもきっと喜んでくれていると思います。

あと熊本地震があったときに、がむしゃらの選手たちが熊本でチャリティ試合をしてくれたことがあって。僕自身も被災したんですけど、そのとき初めて熊本でレフェリーをやらせてもらったんです。

大きいイオンモールだったので結構な大舞台で、それをたくさんの人が見てくれていて、「MAN」のマスターや熊本の仲間たちもすごく喜んでくれて。

被災はしたけど僕にとっては本当に有意義な時間でした。

現状に満足せず日々精進していくこと

ー逆に活動を続けていく上で苦労したことや不安なことはありましたか?

一番苦労したのはレフェリーになりたての頃ですかね。自分はプロレスを知ってる方だと思っていたけど、知ってるだけじゃだめなんだってことを痛感しました。

レフェリーの立ち振る舞いはやろうと思ってできることじゃないし、最初は緊張して萎縮しちゃって、声さえ出せなかったんです。

カウント一つとっても大事な試合の一部なんで、盛り上がっている試合のムードを下げちゃいけない。アドレナリンが爆発しちゃってる選手には声が届いてないこともあるし、下手したら巻き込まれたりもするわけで。

プロレスには同じ試合なんてないし、戦況は常に変わっていきます。レフェリーはそれに合わせて臨機応変に動いていかなくちゃいけないし、試合の邪魔にだけはならないように!ってのは、今でも心がけていることです。

ーでは最後に、今後の目標または夢を教えてください

「がむしゃらプロレスを見ると元気になる!」とファンの方たちからよく言ってもらえるんですけど、そんなみんなの想いを絶やさないように、これからも全力で活動のサポートをしていきたいと思っています。

僕が今理学療法士の仕事をしているのは、過去の自分の経験が活かせると思ったからなんです。でもこれって仕事だけじゃなく、がむしゃらプロレスでも活かせるよなって。

理学療法士の勉強を始めたとき、なんであのとき怪我をしてこうなったのかって、とことん自分の体に向き合ってみたんですよね。それがとてもいい経験になったなって今でも思うんです。

だからそれを誰に対してでもできるような人間になりたい。自分に怪我で挫折した過去があるからこそ、同じ境遇の人にも寄り添っていきたい。

レフェリーとしてはもちろんだけど、それだけじゃなくちょっとした体の不調なんかにも対応できるサポート役として、みんなからもっと頼りにしてもらえる存在になれたら、何より嬉しいですね。

全てを受け入れてこそ強くなる

実は筆者、那須さんとは同級生で同じ敷地内の学校に通ってたということが話をしていてわかったんです。総インタビュー時間は過去最長の1時間半を超え、大盛りあがりの取材となりました。

那須さんの良いところは、自分に何が起きても悲観的にならないところなんだと思います。彼は「自分は人に恵まれている」と言っていたけど、それってきっと逆境をバネにして頑張ってきた彼だからこそなんだろうなぁと。何があっても人のせいにはせず、全ての経験を糧にしている彼の生き様は、純粋に素敵だなと思いました。

そんな那須さんも大活躍のがむしゃらプロレスの試合が、今月7月9日に門司赤煉瓦プレイスで開催されます。華やかでかっこいい選手たちの活躍はもちろんなのですが、それだけじゃない影の人たちの存在、すべての人たちの勇姿を、この目に焼きつけたいですね!

試合やイベントに関しての最新情報は、「がむしゃらプロレス」公式Twitterで確認できます。

※2023年7月6日現在の情報です

(ライター・Kanae Nidoi)

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