• 北九州のヒト!
  • HOME
  • 記事
  • 「九州は素晴らしい」東京出身なのに24年間九州で取材 共同通信社デスク・杉浦修さん

「九州は素晴らしい」東京出身なのに24年間九州で取材 共同通信社デスク・杉浦修さん

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。今回のゲストは、一般社団法人共同通信社福岡支社デスクの杉浦修さんです。

各新聞社へ、記事や写真を提供

甲木:皆様、新年明けましておめでとうございます。西日本新聞社 甲木正子です。

横山:あけましておめでとうございます。西日本新聞社 横山智紀です。

甲木:横山さん、今年の目標や抱負はありますか?

横山:何も浮かばないです。

甲木:キャンプに関してもですか?

横山:そうですね。楽しくキャンプしたり山登りできたらいいな、という感じです(笑)

甲木:横山さんらしいですね(笑)  今日は、特別なゲストをお招きしております。今週、来週はですね。共同通信社さんとのコラボ番組として、共同通信社さんが配信しているポッドキャスト番組『きくリポ』という番組がありますが、そこに横山さんと私が出演して、私たちの『ファンファン北九州』に、共同通信社デスクの杉浦修さんにご登場頂くという趣旨なんです。早速、本日のゲストをお呼びしましょう。共同通信社福岡支社で編集部デスクをなさっている、杉浦 修さんです。よろしくお願いします。

横山:よろしくお願いします。

杉浦:よろしくお願いします。

甲木:まず、通信社というところか、何をするところか知らないリスナーさんもいらっしゃると思うので、通信社の仕事とか、デスク業務についてお話を聞かせて頂けますか?

杉浦:はい。共同通信社という名前を耳にされたことがある方もいらっしゃると思うんですが、今おっしゃられたように、実際、何をやってるのかというのが分かりにくい会社でもあると思います。簡単に説明させていただきますと、共同通信社と言いますのは、東京の本社のほか、各都道府県と海外のおよそ50カ所に拠点があります。その拠点に記者やカメラマンなどがいろんな土地に配置されておりまして、国内外のニュースの取材に当たっています。その取材したニュースは、どこに載るのかという部分ですけれども、共同通信社は、自前の新聞紙の紙面やテレビのチャンネルも持っておりません。そういったものがどこに載るのかと言いますと、私共が取材をした内容を、新聞用の記事や写真、いわば新聞紙面の材料になる形で、弊社から配信という形で各新聞社さんにお届けしまして、それぞれ各都道府県の新聞社さんは、その材料を使ったり、または自社で取材した記事、写真などを組み合わせて新聞紙面を構成しているという形になります。なかなかそこに共同通信という名前が出てこないんですが、共同通信の記事も、各都道府県の新聞社で使われているという形です。

事務職から記者職へ 24年間九州で取材

甲木:杉浦さん自身のこれまでの取材歴をお伺いしたのですが。

杉浦:もともとは事務職で入社をしまして、30代になってから記者職に変えて頂きまして、たまたま最初に赴任したのが福岡でした。以来20数年ずっと九州の中におります。今まで行った場所は福岡、宮崎、福岡、北九州、長崎、福岡、北九州、福岡という順番で24年ほどずっと九州におります。

甲木:すごいですね。ご出身が九州なんでしょうか?

杉浦:出身は東京の北区というところで、これまで九州に赴任するまでは、高校の修学旅行で訪れた時や、プライベートの旅行で一度訪れたぐらいでした。九州との縁はそのぐらいで、最初に赴任して本当に正直な感想を言いますと、九州全体が「こんなに素晴らしい都市があったのか」と思いました。自分の視野の狭さに気付いた面もありました。九州の素晴らしさが、まだ分かり切ってない面もありますけれども、24年経ちまして、こんなに良い居場所はないんじゃないかなというのは、今でも感じます。

公害を克服して、環境都市となった北九州市

甲木:北九州の取材で、印象に残ったことはどんな取材ですか?

杉浦:2回目の北九州赴任の時、ちょうど10年前になりますけれども、市政50年の節目にあたりまして、その時に、取材の中で北九州のことを非常によく知る機会になりました。そもそも自分が小学生の頃に、教科書の中で“四大工業地帯”という中に北九州工業地帯というのがあるというのは知っていました。先ほども申し上げたように、北九州市をあまり訪れたことはあまりありませんでした。以前の北九州のことを市政50年の節目の取材でたくさん知る機会がありまして、確かに鉄をはじめ、あれだけ工業が盛んだった土地なので、公害は当然あったという想像はしておりました。昔の洞海湾の写真などを拝見したり、青空がほしいという婦人会の運動や、七色のばい煙などのお話を聞きまして、公害がひどい時期があったということが分かりました。それが今や有数の環境都市として公害を克服し、海外にそういった技術や取り組みを伝えたりというのは、なかなかできることではないので本当にすごいことだと市政50周年の取材の際に感じました。これは本当に市民の方々も、誇っていいことじゃないかと感じます。

甲木:ありがとうございます。洞海湾は私が子供の頃は“死の海”と言われてましたから。工場の排水で海が汚れて全く魚が住めない状態でした。

杉浦:写真を拝見すると、オレンジ色というか、黄土色というか…

甲木:海の色じゃないんですよね。いいお話ありがとうございました。残念ながら今日はお時間が来てしまいました。来週は、杉浦さんがなぜ通信社の記者になられたのか、お仕事のやりがいなどのお話を聞きたいと思っているので、マスコミ志望の学生さんなどにも、来週はぜひ聴いて頂ければと思います。本日は共同通信社福岡支社の編集部でデスクをしていらっしゃる杉浦 修さんをお迎えしてお話を伺いました。どうもありがとうございました。

横山:ありがとうございました。

杉浦:ありがとうございました。

 

〇ゲスト:杉浦修さん(共同通信社 編集部デスク)
〇出演:甲木正子、横山智徳(西日本新聞社北九州本社)

関連記事一覧