• 北九州のヒト!
  • HOME
  • 記事
  • 東京出身の出光興産社員が創業の地・門司港に来た理由 出光美術館・門司副館長/高橋一壽さん

東京出身の出光興産社員が創業の地・門司港に来た理由 出光美術館・門司副館長/高橋一壽さん

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。今回のゲストは、出光美術館・門司の副館長、高橋一壽さんです。

入社のきっかけは、佐三を巡るあるエピソード

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

野口:同じく、西日本新聞社 野口喜久子です。

甲木:野口さん、先週は出光美術館・門司の高橋さんにコレクションについて非常に面白い話を聞きましたね。今、開催中の展覧会もすごく楽しみです。

野口:すぐ行かないとですね。

甲木:そうですね。今週は先週に引き続き門司港にあります、出光美術館・門司の副館長、高橋一壽さんをお迎えしてお話を伺います。高橋さん、今日もよろしくお願いします。

野口:よろしくお願いします。

高橋:よろしくお願いします。

甲木:今週は創業者の出光佐三さんと、彼を尊敬してやまない高橋さんご自身のお話を伺いたいと思っています。高橋さんは東京のご出身でいらっしゃるんですけれども、なぜ今、門司港で美術館の副館長なさっているんでしょうか?

高橋:はい、話すと長くなるかもしれませんが、実は私は美術の世界で生きてきた人間ではありません。昨年まで出光興産の社員だったんです。1985年(昭和60年)に出光佐三が創業した出光興産に入社して37年あまり、営業と販売を歩んできました。その間、福岡に二度単身赴任して、南九州3県の課長や九州全体の責任者などを経験しましたので、福岡にとっても愛着があったんです。それが心の中を占めてますね。もう一つは、定年を迎えるにあたり、今までの営業、販売の仕事ではなく、佐三の愛した美の世界を知ることを次の仕事にできないかと思ったんです。

甲木:そもそも、出光興産に入社しようと思ったのはなぜなんでしょうか?

高橋:入社したきっかけは、学生の頃に佐三を巡るあるエピソードを耳にしたからです。それは終戦間際から戦後にかけての話です。1945年(昭和20年)5月25日の東京空襲で東銀座にあった出光本社にも火が入ってしまったんですが、それは何とか消し止められたんですけれども、社員名簿をはじめ、人事関係の書類一切が焼失してしまったんですね。しかし、総務担当役員がすべての社員の名前、生年月日、出身地、学歴、職歴と正確に覚えており、戦後に名簿を作ったのです。

甲木・野口:すごいですねー。

高橋:それが、10人、20人ではなく、1006名全社員の名簿を手書きで書き上げました。社員名簿を佐三の元に届けた時に、佐三が「これが俺の財産目録か」と言って目を細めて嬉しそうにそのページをめくったという話を耳にして、とても感動したんです。その話を聞いた時に佐三は既に他界しておりましたが、このような経営者が一代で作った会社であれば、きっと社員は生き生きと働いている、とてもやりがいを持って働いているに違いないと思って、入社を希望して採用してもらいました。

甲木:なるほど。出光佐三さんといえば、大家族主義とか、人をとっても大切にする経営者であったという話は聞いていますけど、“財産目録”と言った佐三もすごいし、やっぱり人事担当役員が1006人全員の名前や、生年月日などを書けたというのがすごいですよね。

高橋:そうですね。

佐三の生き方を、一人でも多くの方々に伝えていきたい

甲木:出光美術館・門司の1階には創業史料室がありますけれども、リスナーの中には、まだそこに1回も足を運んだことのない方もいらっしゃるかと思うので、ご紹介頂けますでしょうか?

高橋:はい。創業史料室には、宗像市赤間で生まれて、明治、大正、昭和を駆け抜けて、95歳で天寿を全うするまでの佐三の生涯と出光興産の歴史を、エポックメーキングな複数のブースを通じて知ることができるようになっています。展示物もその当時の本物がいくつも展示されているんですが、例えば入り口に入ったところには、1911年(明治44年)に、門司港の今の鎮西橋交差点のところに鎮西橋という橋が実際にかかっていました。その橋のたもとで創業した時から使っていた、113年前の佐三の机と椅子が置かれています。その重厚さに本当に歴史の重みを感じますね。

甲木:そうなんですね。もともと私と高橋さんが知り合ったきっかけも、私が所属している小倉ロータリークラブで高橋さんに佐三の生涯について、ご講演頂いたのがきっかけだったんですけど、あの時に、おっしゃった有名な言葉がありますよね。

高橋:そうですね。その時もお話したんですけど、やはり不撓不屈という言葉ですね。如何なる困難にあっても、決して倒れずに乗り越えてきた人生ということを表現したくて使わせて頂いている言葉です。

出光創業の地で、改めて佐三の生涯を紐解いている高橋さん

甲木:高橋さんご自身も入社なさった頃は、まさか出光創業の地であるこの門司港で働くという事は思いもよらなかったと思うんですけど、今どんな思いで毎日を過ごしていらっしゃるんですか?

高橋:こちらに来まして、改めて佐三の生涯を紐解いているんです。そうするとその生き方は、陰徳に従って生きてきたと言っても過言ではないように思うんです。さまざまな徳、良いことを行ってもそれを他人に言わない。陰ながら徳を積むという生き方なんです。自分の行ってきたことを喧伝しないという生き方なので、佐三の生き方はあまり知られていません。佐三の生き方は大変力強く、時代が変わっても変わらない普遍な真理が含まれていますので、佐三の生き方を一人でも多くの方々にお伝えしていきたいと心から思っています。

甲木:こうやって、高橋さんにラジオでお話し頂くこともそうですし、いろんなところで講演して頂くことで、多くの人が佐三の生き方を記し、今の経営に何が必要かというのを考えるきっかけにもなりますよね。

野口:宗像大社に以前訪れた時、大社が大変だった時にもすごく莫大な私財をなげうって、大社の再建にご協力したのが佐三さんだと伺ったんですが、先ほどの陰徳のお話にも繋がるように、一切石塔にも自分の名前を入れないというふうに伺って、とても感動しました。今日のお話を伺って、やはりそういう方だったんだなということを改めて感じました。

高橋:ありがとうございます。

甲木:最後にもう一度お知らせです。門司港の出光美術館・門司で開催中の展覧会「陶磁の東西交流展」は3月24日までです。皆様ぜひご覧いただき、1階の創業史料室では、今日の高橋さんのお話を思い出しながら、ご見学いただくとよろしいかと思います。先週、今週の2回に渡り門司港にあります、出光美術館・門司の副館長、高橋一壽さんにお話を伺いました。高橋さん、ありがとうございました。

野口:ありがとうございました。

高橋:ありがとうございました。

 

〇ゲスト:高橋一壽さん(出光美術館 副館長)
〇出演:甲木正子、野口喜久子(西日本新聞社北九州本社)

関連記事一覧