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先生や上司から受けた恩を愛する地域や人々のために/北九州ESD協議会事務局長・山田大輔さん

(アイキャッチ画像はイメージ)

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

進学校からJR九州への就職希望

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

井上:同じく、西日本新聞社の井上圭司です。

甲木:先週のゲストの山田さん、北九州ESD協議会という難しい名前の団体でしたけれど、お話聞いたらすごく面白い活動してましたよね。

井上:分かりやすかったですね。たくさん教えて頂きました。

甲木:そうですね。持続可能な発展のための教育を推進する団体の事務局長でいらっしゃる山田さんに今日もいろいろお聞きしたいことがあるので、さっそくお招きしたいと思います。先週に引き続き北九州ESD協議会事務局長の山田大輔さんをお招きしています。山田さん、今日もよろしくお願いします。

井上:よろしくお願いします。

山田:よろしくお願いします。

甲木:先週は、山田さんが事務局長をなさっている北九州ESD協議会ではどんな活動してるのかとか、山田さん実はJR九州の社員でキャリアアップ休職制度を利用して、地元北九州で働いていらっしゃるというお話を伺いました。すごく地元愛が強い感じですけれども、門司区のご出身ということで、高校時代はどんな高校生だったのかまず聞いてみましょう。

山田:はい。私の人生は、高校からさらに発展したとも言えるのですけれども、中学生までは、もう本当にクソ真面目な子供だったんです。それが高校に上がった瞬間にちょっとずる賢くなり、朝課外が出席にならないから、もういいやってなっちゃったんですね。

甲木:先週、門司高校を卒業してJR九州に入社と言われていましたが、門司高校は進学校でもあり、先生たちも進学率を考え就職というのは難しかったのではないでしょうか?

山田:そうですね。先生からは進学についてすごく言われました。もともと九州工業大学に行って電機の勉強をしたかったんです。父が鉄道員だったのと、住んでる地域にJRの社宅がたくさんあったので、小学校の教室は前も後ろも、右も左も、鉄道員の息子、娘ばかりでした。僕もJR九州に入るんだという気持ちがあったので、九工大に行って勉強してそこからJRに入ろうと思っていました。でもJR九州に入りたいと言う気持は、高校生の時にもかなりあったので、「先生、僕、ちょっと成績が悪いけど、JR九州に就職できますか?」って相談しに行った時に、普通だったら「いやいや、お前、大学に行ってまだまだ頑張れよ」って言われるんですけど、たまたま進路担当の平井先生っていう方がおられて、「高校から就職なんて面白い」、まさかそういう返事が返ってくると思わなく、面白いって言って下さいました。そもそも求人票が来ない学校なので、その話を2年生の3学期の末に話をしたんですけれども、それから足しげくもJR九州の本社に通って頂いて。「こういう学生がJR九州を受けたいって言ってるので、求人票を下さい」というふうに、アピールして頂きました。本当に感謝しても感謝しきれないぐらいで、今の僕があるのは平井先生のお陰ですね。

甲木:それで、先生が求人票をもらってきてくれて、受験してJR九州に合格し就職内定をもらったということですね。

山田:そうですね。

長男との時間をつくるための勤務シフトを組んでくれた上司

甲木:その後、大きな転機が訪れたとか。

山田:まさかまさかなんですけど、これは当時は学校にはちょっと内緒にしてたんですけど、高校3年生の18歳の12月の年末に長男を授かりまして、18歳で父になりました。

井上:えっ-!

甲木:波瀾万丈な人生ですね。

山田:残念ながら彼女とは縁が無くてですね、結婚することはなかったんですけど、それからシングルファーザーとして25歳まで過ごしました。

甲木:お子さんは、山田さんが引き取って育てられたということですね。

山田:私が育てたというよりは、どちらかというと両親が育てた方が近いのかもしれないんですけど。

甲木:それで、駅員になると、いつもお子さんのそばに居られない仕事ですよね。

山田:そうですね。駅員は24時間の泊まり勤務ですから、尚かつJR九州はオール九州どこでも転勤があります。最初は門司区の社員研修センターの方で研修をしていましたが、最初の勤務地は別府駅で、そこでも良い出会いがあり、当時の別府駅の副駅長が、僕の相談にすごく親身に対応してくれました。24時間勤務って消防士さんとか警察官と一緒で、徹夜があって夜勤明けがあって翌日休みというような3日サイクルを回っていくんですけど、それを詰めて頂いて。泊まり夜勤明け、泊り夜勤明け、泊り夜勤明けで3回ぐらい続けられるんです。そうすると連休が来るんですよ。なので夜勤明けもほぼ休みみたいなものなので、「山田、じゃあここはがんばって働きなさい」ということで、「ここはゆっくり子どもといる時間ができるだろう」って言って下さいました。

甲木:元祖イクボスですよね。良い上司ですねー。

亀川駅長(別府駅副駅長)と

山田:先ほどの、高校の時と一緒なんですけど、良い上司だったり、良い先生だったり、良い友達と出会ってSDGsじゃないですけど、誰一人取り残さないという気持ちですね。本当は僕が挫折もおかしくない状態だったんですけど、皆さんに支えられて、今まで生きてきたなあっていうのが、感謝してもしきれないぐらいで、私の中ではその時の別府駅の副駅長は、大分の父みたいなもので、今でも、もちろん年賀状も書きますし、何か自分にライフイベントがあったりとか、“昇給しました”  “昇格しました” とかいうのも毎回報告しています。

甲木:嬉しいでしょうねー。

山田:本当に僕の親父みたいな存在ですね。

在職中に立命館アジア太平洋大学へ

甲木:そういう配慮も受けながら、鉄道員としての人生を踏み出して、お仕事は順調に行ったんですね?

山田:そうですね。高卒の社員が登るステップとしては、駅員から車掌をして運転士をするということで、私も運転士までさせて頂いて、皆さんのお陰で、一生懸命仕事をさせて頂ける環境に来ました。それでキャリアアップのシステムを使って、研修を受けさせて頂いたので、そこから本社業務をやって、また更にキャリアアップのチャンスを頂き、JR九州から年間若干名なんですけど、立命館アジア太平洋大学に入り、大学卒の資格である、学士の資格を取得できるチャンスを頂きました。

甲木:それが何歳の時ですか?

山田:試験に受かったのが23歳で、24歳、25歳の時に仕事をしながら放送大学で単位を取らさせて頂いて、26歳、27歳の時、立命館アジア太平洋大学の方に2年間学ばさせて頂きました。

甲木:そうなんですね。いろいろ面白い話を聞かせて頂きましたけれども、井上さん、いかがでしたか?

井上:お話伺ってますと、いろいろ助けて頂いたことをおっしゃっておられて、これまでそうやって山田さんが感謝されている方々が、1人でも多くこの放送を聞いてたらいいなって思いました。

甲木:そうですね。山田さんが、こんなに大きく成長しましたということが伝わったら良いですね。そしてご自身が今、街に恩返ししたいということで、休職して、ESDで働いていらっしゃるのも、誰かへの恩送りということかもしれないですね。これからもますます地域のために頑張って頂きたいと思います。先週、今週の2回に渡り、北九州ESD協議会事務局長の山田大輔さんにお話を伺いました。山田さん、ありがとうございました。

井上:ありがとうございました。

山田:ありがとうございました。


〇ゲスト:山田大輔さん(北九州ESD協議会)

〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、井上圭司(同)

(西日本新聞北九州本社)

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